ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
ブレイディみかこ(2019)
新潮社
要約
日本出身の母親とアイルランド出身の父親のもとに生まれた「ぼく」(作中ではほとんど「息子」と語られる)は、イギリスの南端、ブラントンという決して良いとは言えない治安の町の中学校に通っている。そんな「ぼく」の様々な経験を母親の視点を通じて描かれる、ノンフィクションエッセイ。
感想
すっごい本だわこれは。
まず、扱っているテーマと対照的な文章の軽やかさに驚かされる。住んでいる世界が違うからとかでなく(私は日本生まれ日本育ち、海外経験ほとんどなしのどちらかというと日本のマジョリティに分類される方だという自意識があるので、本書がとてもノンフィクションには思えなかった。)、誰が読んでもコミカルに感じられる弾ける文章にも関わらず、茶化すことなく人種やジェンダーなど種々の社会問題を真正面から書いている。この両立を可能にしている文章力の高さに圧倒される。
次に、可視化されないミクロな社会問題を誠実に書いていることがすごい。
これは、多様性を語るよりも遥かに難しいものだと思う。なぜならそもそも多くの人にとっては見えてすらいない問題だから。そして、認知すらされない問題を抱えている人の多くは、その人自身が困窮しているために、自ら発信することが不可能なことが多々ある(だからこそ問題が可視化されず認知されないのだが)。だからこそ、多くの人から認知されない問題を明るみに持ってくることがでいる著者は非常に稀有な存在であり、かつ、嫌みなく幅広い人々に刺さるような文体で書けているのがとんでもなくすごい。
一方で、1点だけもやもやすることがある。
息子がとっても逞しいおかげで本書が成り立っているように思えてならない。一歩踏み外せば一生のトラウマになりかねない出来事と隣り合わせで生きる息子は、母親の視点でみるとかなり冷静沈着で「いいこ」の気がある。息子が「いいこ」で、人に意見する勇気もあり、納得のいかないことをまあいっかで終わらせない思考力があるからこそ、息子は(私から見て)かなり過酷な世界で逞しく育っているように思えてならない。
つまり、逆説的に、息子のような人間でない(私のようなおどおどした軟弱者)場合、本書で取り上げられるような社会問題になすすべなく敗れてしまうのではないかと思ってしまう。そして、その際に手を差し伸べてくれる人が必ず存在しているのだろうかと。
う~~~~~~~ん、言語化が難しいし、たらればのことを言ってもしかたないような気もする。あくまでもやもやしているだけで、はっきりとした問題提起ではないんだけど、う~~ん、なんだろうなあ。