ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい
大前粟生(2020)
河出書房新社
要約
自分の性について悩み、自分の性について悩んでいる自分を悩み、さらにそれを悩んでいる自分を悩み、そうやって悩む自分をさらけ出すことで誰かを傷つけないかと悩み……とメタ認知の果てに苦しみ、生きづらさを抱える京都の大学生の物語(表題作)他、全四編の小説群。
感想
テーマ以上に、小説の組み立てのうまさに感心する作品。(以下、表題作の感想)
1.言語化の妙
「もやもや」と一緒くたにされがちな感情を1つ1つ切り分けて、それぞれを的確に表現している。しかも、説明に必死で変に冗長になるわけでもなく、過不足のないぴったりな言い方のため、文章の全てが明快で、心に抵抗なく言葉が染みていく。
でも、僕が傷つきたくて傷ついているだけなんじゃないかなって、やっぱり思ってしまうんだ。僕が、傷ついてるから、傷ついてる僕は加害者じゃないんだぞ、悪くないんだぞ、って自分に言い聞かせたいだけなのかもしれない。傷ついて、楽になりたいのかも、そういうことを考えてよけい苦しい。[中略]僕は自分のことばで自分を傷つけているだけ。
pp.73-74
特に、こういう自分の思考に自分で先回りをして、さらにその考えにも先回りするような、メタにメタを重ねてしまう思考への表現力が群を抜いていて、自分の心を見透かされたような気持になり、どきっとした。
狙っていながらも一切外さない表現を作中一貫して書き続けられるのは、作者の腕が卓越しているに他ならない。
2.限りなく一人称に近い三人称
本書はセリフ以外の文章では登場人物の呼び名が主語になり、見えない語り手が存在する、第三者視点で進行していく物語である。そういう文章は、出来事を俯瞰的にみるがゆえに、他人事で冷徹な文章になりやすい。それが良い悪いはさておき、読者に共感や何かしら考えさせることを狙うようなテーマであれば、主観的に書いたほうがその目的を達成しやすいように思える。
しかし、本作でのみえない語り手は限りなく登場人物に接近している。しかも、主人公に限らず、その時々でフォーカスの当たっている人物全員にその場その場で寄り添っている。私の感覚だと、そういうふうに寄り添う視点がころころ変わると、物語としての統一感が感じられず、共感する時間を与えてくれなくなりそうなものだが、本作は全くそんなことがない。すっごいぬるっと語り手の寄り添う人物が変化し、誰に対しても感情移入がしやすいような書きぶりになっている。
散らかることなく様々な登場人物に寄り添って書き上げる能力もまた、作者の小説力が成せる技なのだろうと思う。
以上、内容も素晴らしかったのだが、それ以上に著者の能力の高さに驚かされた作品だった。
余談:
読む時期によって感じ方が変化する物語がある。学生の時と、社会人の時と、老後とで思うことが変わるような、そんな物語。
本書は、読むときの「気分」によって感じ方が大きく変化する物語だと思う。そして、こと本書においては少し危うさを秘めているようにも思う。
というのも、傷つかない・傷つけないことと無気力なことは表裏一体だからだ。もちろん、各人の言動が誰の心身も傷つけない世界が一番良いとは思うが、一方でそれがありえないことはずっと前から各人が承知していることである。誰しもが傷つけられ、誰しもが傷つけている。
したがって、傷つける・傷つけられることを避けるためには「何もしない」が最良の選択になる。(何かすれば、それが誰かを傷つける遠因になるから)
本書は、その時の気分によってはこの「何もせず誰も傷つけたくない」という気持ちを助長させてしまいそうで、優しくありつつも危ういなと思う。少なくとも私は、この感想文が書ける程度には私の心身が健康かつ図太くて、そういうときに本書を読めたことをとてもありがたく思う。