52ヘルツのクジラたち
町田そのこ(2020)
中央公論新社
要約
大切な人を間接的に殺し、もう一人の大切な人を悪魔に豹変させてしまった罪の意識を持ちながら、大分の片田舎へ引っ越してきた主人公、貴瑚。彼女はその村で穏やかに生涯を終えるつもりだった。しかし偶然男の子と出会う。彼は母親から虐待を受けており、父親と祖母はおらず、唯一いる祖父からは見て見ぬふりをされている。貴瑚は自身の罪と向き合いながら、彼を救う手立てがないか模索していく。
感想
本旨の良さとディティールの違和感が両立している不思議な作品だった。個人的な評価は高め。
表題にもある「52ヘルツのクジラ」の歌声は主人公に限らず程度の差はあれ誰しもが発しているもの。物語前半では貴瑚の52ヘルツをアンさんや美晴が聞き、後半では貴瑚が愛の52ヘルツを聞き、最後には愛もまた貴瑚の52ヘルツを聞く。アンさんの52ヘルツだけ、誰にも聞かれていない(美晴の52ヘルツは匠が聞いているものとして話を進める)。
ここには様々な原因があると思う。貴瑚が社会復帰を遂げたばかりで周囲への気遣いをする余裕がなかったり、アンさん自身がトランスジェンダーでカミングアウトできず悩んでいたり。一朝一夕には解決しないようなものがたくさんある。
一方で、こうも思う。ディスコミュニケーションじゃない?とも。
カミングアウトするしないとは別に、もう少し直接的な言葉の応酬があってもいいのではないかと思う。アンさんは始終、後方腕組彼氏面で言葉数少な目に、何を聞かれてもはぐらかすような物言いしかしていない。「あいつ婚約者いるよ、やめたほうがいい」くらいは言ってもよいと思う。それは性別関係なく、親しい人が大事な人を思いやる言葉と捉えて問題ない範囲だと思うから。
また、愛は物語の最後に「キナコに会えて、よかった」と口にする。ここに性別は関与していないはず。アンさんも、これくらいなら言えたのではないだろうか。
もしくは、私が「この言葉に性的な要素は含まれない」と思っていることでさえ、アンさんからすると性が関係するように思えてしまい、葛藤してしまうのだろうか。だとすると、私がアンさんの52ヘルツを聞くにはまだまだ考えないといけないことが多すぎる。
本作は読みやすい。余白が多く、文字が多きく、頁あたりの文字数が少ない。しかし考えることはあまりに多い。「52ヘルツのクジラたち」と一言にまとめられていても、クジラ一匹一匹の様子はあまりにも異なっている。この、複雑なテーマを読みやすい表現で余すことなく描いているところが、本作の優れた所以なのだと思う。
余談
p.116にて「図書館」が一言だけ、一文だけ登場する。私の感情の最高到達点はここだったと言っても過言ではない。お金がなく、知りたいことがある。そんな時に図書館に行く。それが、なんら特別でなく、当たり前のこととして一文で済まされている。図書館が空気のように溶け込んでいることが現れていて私は多いに感動してしまった。
図書館、良い。