菜食主義者
ハン・ガン(著), きむ ふな(訳)(2011)
クオン
要約
できない。なんなんだこれは。
感想文
読んで体調が悪くなった。後に、普通に風邪をひいていたことが発覚、凄まじい読書体験だった。
1編目の「菜食主義者」では作品の圧に耐えられていた。「82年生まれ、キム・ジヨン(筑摩書房)/ チョ・ナムジュ」に近しいところがあり、伝統的な家父長制のもとで育てられたヨンヘの、菜食を通した反抗の物語だと読んでいた。もちろん非常に重たくて、決して楽に読めたわけではない。とはいえ話の輪郭を自分の中である程度形作ることはできていた。
続く「蒙古斑」「木の花火」。私の頭では受け止めきれなかった。特に「蒙古斑」の性的な描写は度々吐き気を催し、休み休み読んでいた。
ただ、1つ思い出したのは「地球星人(新潮社)/ 村田沙也加」の存在である。読んだのが5年も前なので大枠すら怪しいが、確か主人公たちが山奥のどこかに集まって人ならざるものへ成ろうとする最後だった気がする。この記憶が正しいかどうかはさておき、本作の中にも、人間としての枠組みから外れようとする営みが描かれていたように思う。
ここまで把握した上で私は思う、これは著者の心の整理なのではないかと。
「菜食主義者」に注目すると、ジェンダーや家父長制の要素から、社会問題について考えさせられるタイプの本のように思えるし、実際そう読むこともできるだろう。一方で、続く2編からは主張のようなものがあまり感じられない。あるとしたら「叫び」に近い何かだと思う。
ヨンヘは人ならざるものに成るために、誰かに何かを頼んだわけではない。あるとしたら、自身の行動や思想を理解してほしいという切ながら控えめな叫びだけである。自身の世界と、ずれる世間。ヨンヘの姉が言うように「どこから間違っていたのだろう」という話で止まっており、作品を通して何かが悪であると決めつける描写はない。あくまで自身の心にしか醸成することのできない世界の存在が、致命的に世間とずれており、そこで苦しむ人々を写し取っているだけのように映る。
私は結局何がかきたかったのだろう。
1つだけ言えるのは、本作は作者が確固たる意志を持って書いた小説であり、私の理解が及ばずとも名作であるのは揺るがないということである。ただし、再読はしばらく控えたい。と~~~っても疲れた。
余談
この感想文、言わずもがな書くのが非常に難儀だった。
理由の1つに、作品をどう読むのが正しいか考えている自分がいることがあげられる。検索エンジンから除外される設定で運用し、ほとんど誰からも見られることのないであろうブログに書くにしても、私は正しさを意識している。私の中の何かが、頓珍漢なことを言いたくないと、キーボードを叩く指を制御している。
この自意識、非常に良くない。間違いや非難を極度に恐れている。
どうにかしないとなあ……(オチなし)。