ビジュアル・シンカーの脳
テンプル・グランディン, 中尾ゆかり(2023)
NHK出版
要約
人間には、言語で考える人と、視覚で考える人がいる。前者は、文字通り言語を駆使して文章を書き、話すことで意思疎通をはかるが、視覚で考える人はそうでない。あくまで頭の中では絵が想起されている。したがって、言語を媒介したコミュニケーションは不得手な傾向にある。しかし、視覚思考型の人間が言語思考型の人間に劣っているわけではない。本書では、視覚思考者(ビジュアルシンカー)の特性を解説し、彼ら彼女らの置かれた境遇を伝えている。
感想
問題提起としては良書だけれど、中身としてはう~ん。
私が言語で思考する人間だからか、著者の、視覚思考者としてのポジショントークがやけに多い気がする。もちろん視覚思考者は、言語思考者にない能力があるのは事実だろうが、それが言語思考者を下げる理由にはならない。
一方で、そのような物言いになってしまうくらい、現代社会は言語思考者に有利なようにできていて、視覚思考者のルサンチマンは私の思うよりも遥かに大きいものかもしれないとも感じた。
だから物体視覚思考タイプの人は、早口で話される言語情報を理解するのが難しい。[中略]もし、教室で先生が授業を時間内に終わらせようとして早口でしゃべったら、視覚思考の生徒はどんな気持ちになるだろう。
p.44
この言葉はかなり印象的である。言語で思考するか、視覚で思考するか、そこに優劣はないはずなのに、疎外され、劣等感を植え付けられる。
加えて、ゆる言語学ラジオのコメントが共鳴する。
ビジュアルシンカーヤクザは、二人が記憶に数回ある苦い経験をずっとしてんだ
上記動画のコメント欄より
少なくとも私は、本書と出会うまで(正確にはゆる言語学ラジオで知るまで)思考に言語型と視覚型がいるという発想がなかった。小説を読んで、情景が頭に浮かぶみたいなことは聞いたことがあるし経験したこともあったが、「言語型 / 視覚型」と、並列に分類できるレベルで意識したことはなかった。
これはかなり恐ろしいことではないだろうか。問題にすらなっていない。声なき声である。昔、最貧困女子を読んだことを思い出した。
だからこそ、本書の内容に多少疑義があろうとも、その存在価値は十二分にある。
今後、社会が視覚思考者にとって生きやすいものへと変化していくのであれば、本書は間違いなくその先駆けとなるだろう。
ゆる言語学ラジオ
サムネ、好き。