月まで三キロ

月まで三キロ

伊予原新(2021)

新潮文庫

要約

認知症の父親を老人ホームに預け、自身はパートをしながら借金を返す生活、残りの人生にそれしかないと悟った時、主人公はタクシーをつかまえて富士の樹海へ行こうとする。事情を察した運転手は同じ自殺スポットでも、せっかくの中秋の名月だからと、月まで三キロの場所へ連れていく。月まで三キロとは、なぜ運転手が主人公をそこへ連れていくのか、月の表裏を通して二つの親子の関係を見る表題作他、全7編+対談。

感想

八月の銀の雪で既に好みではないとしていたが、余計にそれを増長させる結果になった。買ってしまったんだから、勿体ない精神でなんとか読みきった一冊。

著者、頭が良すぎるよ。

売れる作品、感動する作品、泣ける作品に必要な諸要素をちゃんと理解している、理解しすぎている。ゆえに良い作品の諸条件をぴったりきっちり過不足なく満たしている。

過不足が、なさすぎるんだ。

ある意味でアリ・アスター的作品ともいえる。解釈の余地が全くない。揺らぎがない。だから情緒もない(アリ・アスターのほうがまだあるかもしれない)。著者の想定する、著者の思う「感動」しか味わうことができない。極めてシステマティックな、遊園地のアトラクションやお化け屋敷的な、均質化されたエンタメである。

まああくまで作品、好みの問題でしかない。

しかし、あの対談はなんだ。

小説家ともあろう成人男性二人が互いを褒め称え、馴れ合っている。あまりにも読むに堪えない。もっと毒を吐け、恥を見せろ、殴り合え。

科学の世界と人間ドラマを融合させたという点では、あまり他にない小説かなと思って書いていました。

p.252

しかもこの言葉、他でもない著者本人の口から飛び出している。正気か?

著者は科学と人間ドラマを掛け合わせた「形式」しか書こうとしていない。そして、それに少なからず自負を持っている。博士で大学勤務の経験があるアカデミックな著者らしい作品かもしれないが、その成果物を「小説」というにはあまりにも血肉と感情が足りていないように思う。

百歩譲って作品が好みでないのはいいとして、あの対談にはかなりがっかりした。