読書感想文についてわかったこと【オチのない話】

読書感想文ってめちゃくちゃ難しくない?という記事を書いた。

最近少しわかったことがあるので備忘録として書く。

先日「君のクイズ」という作品の読書感想文を書いた

この感想文には「~と思った」や「~と感じた」という言葉が使われていない。それどころか「私」という一人称は一度しか登場しておらず、終始「である調」で書かれている。

しかし、これこそが読書感想文のように思う。

保坂和志氏は「小説の本質はプロセスにある」というような趣旨のことを「書きあぐねている人のための小説入門」の中で言っていた(超絶意訳)。これは、読書感想文でも同じことが言えるのではないだろうか。

蓋し読書感想文も、自分自身が何を思ったか・感じたかよりも、読書感想文を書くプロセスを通して自分自身の思考に向き合うところに意味があるのではないだろうか。

先の「君のクイズ」では、私は当該作品を通して文学とは何かについて語っている。そして、重要なのは「『君のクイズ』が文学作品」であるという結論にあるのではない。「君のクイズ」を媒介に文学作品の在り方について考えるそのプロセスこそが読書感想文として意味のあるものになっているのではないだろうか。

ここに私は「読書感想文とは何か」という問いに対する一つの答えを得た。

それは自身の思考と向き合うプロセスであると、答えることができるかもしれない。

もちろんそれが全てではないし、そもそも正しいかどうかもわからない。が、少なくとも今の私はそう考えている。

オチ、なし!!!!!