勉強の哲学
千葉雅也(2017)
文藝春秋
要約
「『勉強とはどういうことか?』を考え」るところから始まり、著者は、「単純にバカなノリ」から「昔の自分がいなくなるという試練」を経て「来たるべきバカに変身する」ことが「深い勉強」であると答える。
本書の前半では「深い勉強」の原理が論じられ、後半ではそれを実践するための方法が語られる。
感想
驚くほどに真摯な文章。
とにかく隙が無い。
極端なアイロニーが逆に思考を停止させてしまう恐れがあることに注意したり、勉強は不快な状態を楽しみ享楽することと説いたり、勉強するテーマの見つけ方を教えてくれたり、勉強を継続するコツを教えてくれたり、最後に全体のまとめを索引的に書いてまとめてくれていたり……..キリがない。
要するに、原理を論じる場面(前半)では想定される反論や論旨の欠陥を予め補足しており、ノウハウを語る場面(後半)では手取り足取りと言ってよいほど丁寧に教えてくれている。
自身の書く文章に生真面目なほど誠実で、読者に対してとても優しい。総合して、真摯な文章となる。
一方で、ファスト教養を読んだばかりだから、本書での「勉強」を実践できる人は果たして現代社会にどれくらいいるのだろうと、暗い気持ちになってしまった。
私自身もファスト教養に傾倒しかねない人間なので、本書は定期的に読み返したい。
余談
欲望年表、楽しくて何時間も休みなく書いていた。
そして気付く。欲望年表を書いている自分は、年表中にある自分の人生を、自分のものだとは思っていない。
他人事のように、エンタメ小説を読むように、自己と完全に切り離して年表を書いている(というより眺めている・読んでいると言ったほうがよいかもしれない)。
すごく違和感を覚える。
私は、割と自分の人生を肯定している。艱難辛苦は勿論数多あるし、恥も晒しまくっているし、たくさんの人へ迷惑をかけてきた。反省すべき点はいくらでもあげられるのだけれども、とはいえそれら全てをひっくるめて肯定できるくらいにはナルシストである。
その割には、私は自分の欲望年表を自分のものとしてみていない。他人が書いたもののように見ている。
これはなぜなのだろうか。今すぐには答えが出ないが、テーマとして持っておきたい。