ピッツェリア・カミカゼ
エトガル・ケレット, アサフ・ハヌカ, 母袋夏生(2019)
河出書房新社
要約
死後の世界に自殺することで辿り着いた主人公は、現世に遺した恋人がこちらの世界へ来ていることを予感し、現地で知り合ったアリと車で探しに出る。道中、何かの手違いで死に、現世に戻してもらおうと世界の管理者を探すリヒと出会う。三人はやがてサマーキャンプのような活動を行うクネレルと出会い、彼の飼い猫を追ってメシア王ギブのもとへ行く。そこで主人公はかつての恋人と再会する。ギブは現世と死後の世界を行き来する奇跡を見せようと自身の胸に刃を突き立てるが、彼の魂が肉体へ戻ることはなく、死後の死後の世界へと行く。そして、彼の亡骸とともに主人公の恋人とリヒも連れていかれる。主人公は、実は覆面天使だったクネレルのサマーキャンプを去り、ピッツェリア・カミカゼにてピザを焼きながら、リヒを待つ。名札を逆さにつけたり、エプロンを不格好に結んだりと工夫をしながら。
感想
↑要約を、拙いながらに書いていて思うが、なんなんだこれは。
おそらく、主人公は何かしらの息苦しさを抱えていたのだと思う。かつての恋人エルガと再会したときに「友情の証のキスを受けて、それでもう終わりにしたかった(p.95)」と感じているので、彼女を探していたのは、彼女への愛ではなく、精算が目的だったと考えられる。その後、戻るかどうかわからないリヒをピッツェリアで待ち続けるわけだが、そこに序盤のような重たい空気はない。あるのは、目の前の日常と、遠くへの想いだけである。
こうしてみると、主人公は本物語での旅を通して、自身の心のわだかまりを解消し、穏やかな日常へと身を置く癒しの物語と捉えることができるかもしれない。(とはいえ彼の背景情報が少なすぎて、彼が何を背負っていたかは全くわからない)
一方で、ギブやエルガはひたすらに自由を求めていたのかもしれない。二度も自殺し、世界を渡り歩こうと試みたギブと、それを信奉しているエルガ。二人がその後どうなったかは描かれていない。しかし「2度も自殺した人の行くところは、ここの何千倍も鬱陶しい(p.105)」と語られるからには、ここではないどこかを求めすぎるのも考え物だということが伺える。
そして、出番が少ないながらも印象的に登場するのが「意味のない奇跡」である。これはどことなく「ハレ」と「ケ」を思わせる。もちろん奇跡は「ハレ」に該当すると思うが、奇跡それ自体に意味はない。あくまで「ケ」、日常があってこそである。物語の最後で主人公が奇跡を使えたものの、結局ピザ屋で働いていることから、奇跡以上に、慎ましやかな日常のほうが印象的に切り取られているように感じる。
以上を踏まえると、本書を「癒しと日常」の物語と表しても良いかもしれない。少なくとも私はそういうふうに読んだ。
が!!!
しかし!!!
こんなもの所詮は私の矮小なデータベースから無理やりアイデアを切り貼りして導き出した結論にすぎない!あくまで無理やり言語化しただけである。
本書の良さは、やはりグラフィックノベルという形態にあると思う。多少理解が追い付かなくても、なんとなく追っていける。この感覚は非常に大事である。普段、言語というツールを使うことが当たり前になっているからこそ、それを使えない、わけがわからない状態をそのまんま持ち続けながら読み進められるという点で本書はすごく良い本だと思う。要は感覚的に読めるということである。
以上、たらたらと書いたが、やっぱり何もわからない。でも、なんか、良い。