すべての、白いものたちの
ハン・ガン, 斎藤真理子
河出書房新社
感想1 – 作家の言葉読む前
整理する必要がある。
まず、本書がどういう話だったのか。
主人公の生まれる前に死産した二人の赤子を偲びながら、自身の人生と向き合う話……..と読んだ。
白いものを共通項にして、「私(第一章)」や「彼女(第二章)」について想い、感じ、考える。そしてそれらが最終章の「すべての、白いものたち」でまとめあげられ、「私」は「あなた(おそらく死産した赤子)が最後に吐き出した息を」「胸に吸い込」んで物語が終わる。
フォーマットとしては「ギリシャ語の時間」に似ているようにも思える。
ギリシャ語の時間の訳者解説では、著者は傷ついた人々の回復を書いている(超意訳)と説明していた。本書についてもおそらくそうで、はっきりした事実は描かれていないものの、主人公も、彼女の母親も、死産となった赤子たちも、何らかの点で傷ついている。そして、ギリシャ語の時間の終盤で描かれる「彼」と「彼女」の触れあいと同様に、本作での主人公は、亡くなった赤子の魂の吐き出した息を吸い込むことで彼女とふれあって物語の幕を閉じる。
ただし、ギリシャ語の時間とは決定的に違う点がある。
情報量が!!!少なすぎる!!!
あまりにも前衛的、ほとんどインスタレーションといっても過言ではない。
本書は装丁にすごく力を入れていて、おそらく4種類の紙で編まれており、横から眺めると、色合いが違うことがよくわかる。なぜこのような装丁にしているのか、私の浅学非才な頭で捻りだした答えでは、「すべての」という部分を表現しているという答えしか浮かばなかった。アンミカではないが、「すべての」白いものたちと表題で言うからには、紙でその様子を表したかったのだろうかと想像する。そして、それ以外なんにも浮かばない。
とはいえ、本書は短いからこそ、一文一文の味わい深さはひとしおである。詩集や俳句集を読んでいる感覚に近かった。
感想2 – 作家の言葉読後
私たちの中の、割れることも汚されることもない、どうあっても損なわれることのない部分を信じなくてはならなかったー信じようと努めるしかなかった。
p.182-184
だからこそ味わい深いのだろうし、だからこそ短く、断片のような文章なのかもしれない。
「絶対」という言葉が浮かぶ。
本作は、著者にとって「絶対」と思えるもの、「絶対」と思いたいものがまとめられているのではなかろうか。人生を経る中で、老いようが、何かから影響を受けようが、心が折れようが、それでも「絶対」として信じられるもの、「絶対」と信じたいものに想いを託して綴ったのだろうかと想像する。
そういう、絶対的なものたちが、白色のもとでまとまっている様子は、とても美しいと思うし、まさしく著者の言う「ヒン」そのものであると思う。
10年後くらいにまた読み返したい。