初夏ものがたり
山尾悠子(2024)
ちくま文庫
感想
第一話
初夏に揺らめく陽炎のよう。眩しくて目を細めてしまう感じ、良い。
出来事としては、二十歳で亡くなった男が黒スーツを着た人ならざる者のビジネスを利用して、七歳の誕生日を迎える娘に会うだけなのだが、世界観が確立されているおかげで行間の空気がとっても味わい深い。作品世界で呼吸ができる。
特に終盤、娘の言葉(亡き父に会った旨)に反応して母が振り向くも、既に娘は新たな父親に呼ばれて背を向けている描写(p.54)は清々しい儚さが充満していて噛みしめたくなる文章である。
第二話
受け入れ難い出来事を腑に落としたことで涙が流れる展開は、正直古今東西の作品で散見されるものだが、文章一つで読み応えがこうも変わるのかと感嘆させられた。
短い掌編なのにしっかりとルサンチマンを溜め込んで、それを発散するカタルシスを得られて満足度が高い。
第三話
五月の雨がこんなにも爽やかに感じられるなんて珍しい。第一話とは舞台も気候も状況も対称的なのに、しっかりと「初夏」を感じられる一幕だった。
第四話
最っ高。個人的ベスト。
まず、タキ氏があまりにも粋である。初夏なのに黒スーツという現実離れした出で立ちから人ならざる冷血漢のように捉えていたが、実際は顧客にさりげなく寄り添える仕事人であり、このギャップに魅了されてしまった。
そして、締めの明るさに感無量。安易に使いたくないが、尊い光景というのはまさにこういう作品のためにあるのだと思う。
陽ざしに照らされて、青紫のサンダルを軽やかに浮かせる娘。「まだなの」と仕事の電話をするタキ氏にかける声は、説明されなくとも底抜けに明るいことがわかる。そして、タキ氏が去ったあとも鳴り続けたまま放置される公衆電話は、無邪気で自由な夏休みを思わせる。
もう、直視できないほどに明るくて、眩しくて、美しい初夏ものがたりである。
余談
蓋し、読む時節も良かったのではないだろうか。
初夏(というには夏本番に近づきつつあるが……)の陽ざしを受けて汗をかきながら読むという体験が、本作を追体験する作用をもたらしていることは言うまでもなく、この時この瞬間でしか嗅ぐことのできない名作の匂いを少しばかり捉えられたように感じる。
ジャンルに隔たりがあるけれど、サマータイムレコードとか合うんじゃないかと思う。