そっと静かに
ハン・ガン, 古川綾子
クオン
感想
私には本当に重要な話は手紙で伝えるくせがある。永遠に証拠として残っても構わない話だけを書こうという心構えが、かえって話をわかりやすくしてくれる。
p.111 手紙
「手紙」にて語られるこの言葉が、本書、ひいてはハン・ガン氏の作品全体に通じる良さだと強く感じた。
まず、ハン・ガン氏の言葉は、私の心に抵抗なくすっと入って来てくれるところが良い。沁みるというよりも、隙間を丁度良く埋めてくれる感じ。それでいて、感傷的になりすぎないのが良い。
蓋し、一貫して客観的に書いているところが一因だと思う。心情や感覚などの抽象的な内容でさえも、「雪が降った」と、端的に状況を説明するように書くので、悪い意味でのひっかかりがなく、流れるように気持ちよく読める。夏に飲む麦茶に近いかもしれない(氏の作品、冬や雪のほうが多く登場するけど)。
それから、冒頭に引用したようにハン・ガン氏の書く文章は、一目で洗練されているものだとわかる。だからこそ、私は安心して気持ちよく読むことができる。
ところで読書というのは、古本に代表されるように、値段が商品(作品)の価値に直結するわけではない。食事や洋服ならば、それの良し悪しはともかくとして、値段がそれらに価値を与えることがままある。三万円のイタリアンディナーに行ったとき、我々の得る幸福感には、料理だけでなく「三万円という大金を払って食事をした」という経験も含まれる。
一方で読書はそういうことがほとんどないからこそ、良くも悪くもその価値を自分で判断しなければならない。値段以上の価値を見出すのも、値段に見合わないと判断するのも自分であり、そもそも値段を基準にして良し悪しを決定するものでもない。
そして、この価値判断には意外とエネルギーを使う。私の頭の体力が貧弱と言われればそれまでだが、とりあえず私にとっては「この本は果たして面白いのだろうか」と思いながら読むのは些か疲れる。だからこそ先に書いたように、考えるまでもなく丁寧に、大事に書かれた文章を読むと「私は良い文章を読んでいる」という肯定感が始めからついてくれて、安心感のある良い読書体験ができる。
最後に、翻訳者の手腕について触れたい。
私はこれまでハン・ガン氏の作品を四つ読み、きむ・ふな氏による翻訳が一作、斎藤真理子氏による翻訳が三作だった。
そして本作では古川綾子氏が翻訳を担当しているのだが、全員、ハン・ガン氏の言葉の良さを芯から理解しているように思える(たった五作しか読んでいない私が言うのは大変烏滸がましいと承知の上で語らせていただく)。最近、韓国文学にはまって色々と読んでいるのだが、翻訳者が変わっても、ハン・ガン氏の作品の雰囲気というのはなんとなく共通している。先に触れたような、一語一語を丁重に扱うような感覚が、どの翻訳者から日本語に出力されていても共通して存在している。
もしかしたら、海外文学を私があまり読まないだけで、翻訳と言うのはそういうものかもしれないが、ともあれハン・ガン氏の作品の翻訳は素晴らしいと思う。
今更ながら、「そっと静かに」というよりハン・ガン氏の魅力について語っていた気がするが、まあ、良い感じに言語化できたのでよしとする。韓国語を勉強し始めてはや一カ月。今年中にはハン・ガン氏の作品をたどたどしくても原書で読めるようになりたいなあ~。