なぜ働いていると本が読めなくなるのか
三宅香帆(2024)
集英社新書
感想
大学一年生のメディア論の講義で使えるほど網羅性が高く、社会性もある良書。明治時代にまで遡り、労働と読書の関わりを丁寧に紐解く流れは読んでいてとても楽しい。特に、私の好きな谷崎潤一郎の「痴人の愛」が当時のサラリーマン向けのノスタルジー的癒しを与えていたという言説は非常に興味深い。当時の読者を想定しながら近代文学を読むということをあまりしてこなかったので、良い気付きとなった。
また、表題に対する回答も、的を射ていて良い。疲弊した労働者には、読書に多分に含まれるノイズを受け止める余裕がないとし、半身で働く社会を提言する。実際、私自身の生活に照らし合わせてみてもそうで、私は過去にジャン・クリストフを挫折したことがある。その理由は明らかで、疲弊した体で乗る早朝の電車にて、ノイズまみれのジャン・クリストフは脳への負荷がとんでもない。確かに読書とはノイズであり、現代社会で働いていると、それを受容する余裕がなくなっていくというのは事実である。
一方で、本書には、ノイズのない情報(=インターネット、SNS)にどう対応していくかという点について語られておらず、少し物足りなさを感じた。著者としては、半身で働く社会が実現すれば、生まれた余力で人々は読書するようになると考えているのだろうが、果たして本当にそうだろうか。余裕の有無に関わらず、ノイズのない情報は摂取していて心地が良い。ゆえに、力こぶを作らなければ、人は安易にノイズのない情報へと流されてしまうと思う。有り余る時間と体力でSNSに張り付く人間もいるわけで、本書にはそのようなノイズのない情報との向き合い方というテーマが欠けている。
とはいえ本書は、言葉だけはよく聞く言説を丁寧に言語化しているという点で優れている。知識と情報の違いはノイズの有無であり、読書とはノイズという異なる文化や過去に触れるプロセスであり、ゆえに余裕のない労働者はそれらを受け止められないと著者は説明する。本書が現時点で四刷の重版がかかっているのは、多くの人が抱えるもやもやを明確に言語化できたからだろう。本書の好調な売れ行きが、半身で働く社会に少し近づいているとも思え、明るい気持ちになることができる。