ケアする建築
山田あすか(2024)
鹿島出版会
感想
本書は、具体的な実践に価値をおくケアの倫理を体現している。理論ありきではなく、豊富な実例をもとに、それらがいかにケアの倫理を表現しているかを説明し、転じてケアの倫理とはどのようなものなのかを考察している。一言では表せないケアの倫理を、多数の個別事例からその輪郭を掴もうとする営みは、ケアの倫理らしい試みだと言える。
特に「利用縁コミュニティ」から展開される「なんとなく会話を始めてしまうような場」が印象に残っている。まず、「利用縁」とは「利用という共通項によって生み出される関係」であり、それによって生み出される「結果としてのコミュニティ」が「利用縁コミュニティ」である。この利用縁コミュニティは、血縁や地縁と異なり、参加や離脱のタイミングが自由で、「ゆるやかに」形成されていくことが特徴的である。
私はこの「ゆるやか」という言葉が、ケアの倫理にて非常に重要な言葉であると感じた。大前提として、人間には居場所が必要であるというのは本書でも各所で触れられているが、その居場所に強く縛られることは、結果としてコミュニティ内でのパワーバランスの崩れに繋がる。ゆえに、自由とケアの混在する「ゆるやかな」利用縁コミュニティは、より良い社会を形成する上で重要であり、それを実践している本書の施設たちは大切な存在として強く印象に残った。
例えば「三草二木 西圓寺」は利用縁コミュニティを忠実に実践している場といえる。「温泉施設」であり、「就労支援、障害者生活介護、高齢者デイサービスの機能が融合した、世代や障害の有無も『ごちゃまぜ』でソーシャルインクルージョンを実現する交流と滞在の場」である西圓寺には他にも、カフェスペースや庭もあり、「風呂上りの人々もソファスペースやカフェで自由にくつろ」いでいる。
そして特筆すべきは、 西圓寺が「なんとなく会話を始めてしまうような」利用縁コミュニティを形成しているところにある。ここにあるのは、典型的なケア/被ケアの関係だけではない。利用縁によって形成される、結果としてのゆるやかなコミュニティが、上下関係に留まらない自由なケアを醸成している。これは、ケアする建築のお手本と言っても過言ではないだろう。
このようなケアする建築が、西圓寺を始め本書では多く取り上げられている。また、PROJECTS’ CATA-LOGから事例を紹介することで、ケアする建築に関する学びを、本書から発展させられるようにしている点も優れている。本書での理念や実践が広まれば、より多くの人々がより良く生きられる社会になるだろうという確信が感じられる。