凜の弦音
我孫子武丸(2022)
光文社文庫
感想
名作の片鱗は散らばっていたのに、余計な不純物がたくさん混じっていて残念だった。
まず、凛と棚橋先生の関係性により焦点を当ててほしかった。目が見えず耳だけで判断する先生が、凛以外の人間を視覚で褒める中、凛を聴覚で褒める、この演出は素晴らしいと思う。一方で、凛と棚橋先生の描写が第一話以外でほとんど描かれていないため、感動するには至らなかった。凛が中学一年生で入部した頃からの関係性の歴史をもっと丁寧に描写していれば、より感情移入出来て、満足感の高いものになっていたのだろう。
また、波多野との関係も、話としては良いものの、描写があまりにも足りない。というより、以前読んだ「君のクイズ」を思い出し、そちらの出来の良さと比べてしまったことが原因かもしれない。君のクイズも、芸能界で生き残るためにクイズを利用する華やかな人間と、クイズそのものが自分の人生であるギークな人間が対となって物語の骨子を支えているという点で凛と波多野の関係に類似している。
「君のクイズ」では、クイズとともにある自身の半生を振り返ることで、クイズ=人生の等式に説得力を持たせているが、本作では凛にとって弓道=人生となるような描写がない。そもそも凛は高校二年生である。作中で彼女自身が、「分からないものは分からない。(p.267)」と発したように、弓道が自身にとって何なのかをまだ理解できていないのである。
わからないことをわからないとして、そのまま捉えるという思想は良いと思う汚。ただ、物語としての厚みは感じられない。ほんの数カ月しか時間をともにしていない波多野と、僅か4年の弓道経験とでは、物語としてどうしても物足りなさを感じてしまう。
とはいえ、ここまでは名作の片鱗であり、惜しかった点である。もっと描写を増やしていれば、傑作になったかもしれない、ダイヤの原石のような話である。しかし実際のところ、明らかに粗悪な個所がかなり散見される。具体的には、主人公に共感しない無思慮・無分別な人物が多すぎることと、極端なまでに性を意識する著者の筆が挙げられる。
まず、登場人物のほとんどを好きになれない。凛の心情に肉薄あるいは寄り添う人が全くいない。多くの登場人物が、凛の弓道に対する悩みや葛藤を一切共有せず、後述する中田との関係を茶化したり、インターネットデビューやテレビデビューを無責任に推し進めようとする。心情面での主人公の味方がほとんどおらず、読んでいて常に閉塞感を覚える。
特に中田。気持ち悪い、その一言に尽きる。盗撮に痴漢(描写としては凛の肩を掴んでいただけだが、ほとんど痴漢と変わらない)、校内・インターネットへの動画の拡散行為。物語が悪い方向へ行かなかったのはあくまで結果論であり、彼の行いが凛にとって消せないトラウマになる可能性もあったはずなのに、あの不誠実な態度である。正直、終始一貫して彼には苛立ち以外の感情を持つことができなかった。
だのに!!!周囲は彼と凛を恋仲のように扱ってからかう。凛自身は最後まで否定し続けるも、著者の筆がそれを許さない。「そこにいてくれる安心感(p.183)」だの「ほっとする(p.249)」だの中途半端に凛からも中田に気があるような描写を見せる。上述したように、中田の良さなぞ微塵もなく、不快感しか覚えていない状態でそのような描写を読んでも、一向についていけない。とにかく、気持ち悪い。
そして、挙句「男らしい」という言葉が頻発する。わざわざ性で表現する必要のある個所は一つもない。「逞しい」「勇ましい」「猛々しい」など、力強さを表す言葉はいくらでもあるはずなのに、それをひとまとめに「男らしい」と表現するのは、著者の甘えではなかろうか。本作は2015-2018の期間に執筆されたもので、当時のジェンダー観は全くわからないが、とはいえ女性の逞しさを男性性に頼るしかないのは、著者の怠慢のようにしか思えない。
Amazonのレビューでは星4以上を記録しており、続編も出ている本作だが、正直全く好きになれなかった。「殺りくにいたる病」が好きだっただけに、残念な思いでいっぱいである。
余談
- 人から勧められたのに、こんな感想しか持てないことが非常に悲しい。
- 今年書いた感想文の中で、暫定トップの長さのものが酷評というのも悲しい。