夢みる宝石
シオドア・スタージョン, 永井淳
ハヤカワ文庫
感想
おれは正真正銘の人間だ。たまたまおれには鋭敏なテレパシー能力がそなわっていた。(p.272)
ただの人間がたまたまテレパシー能力を持ってたらだめだろ!!!
頑張って読んでいたが、ここで集中力がふっつりと切れてしまった。
とはいえ、正直、このツッコミがなかったとしてもあまり良い作品とは思えない。なぜなら、埋まらない種族間対立の溝があるからである。本作では、人間と水晶人と種別が区別されるが、水晶人である主人公ホーティは、自身が水晶人であるがゆえに幼馴染で人間のケイを突き放す。あくまで自認を水晶人として、ケイを「同類じゃない」から「もういい」と発するのは、どうにも芳しくない。
また、ジーナの自己犠牲に関しても、正直それを美談として読みたくないところがある。彼女は、自身が水晶人であるのにも関わらず、人間の「種の存続」を最優先する価値観に沿って行動して、自身を死に追いやる(最終的には甦るけれども)。彼女の「異なるカーストのために命を投げ出」す行為は、「最も高貴なる倫理の名」における行動だと作中で説明されるが、それはあまりに全体主義的ではないだろうか。さらには、彼女の自己犠牲に待っているのは、同族でないからと言ってケイを見限る主人公の姿であるのだから、なんとも煮え切らない話である。
解説には「孤独と愛」と評するものがあるが、あまり同意はできない。確かに主人公ホーティやジーナの視点で見れば愛に溢れているかもしれない。ただその一方でヴィラン的な立ち回りを担う人食いやブルーイット判事は、純粋悪な主人公の敵としてしか描かれておらず、バランスの悪い愛のように思えてならない。著者が愛を信じているのならば、人類を憎悪する人食いや自分自身のことしか考えていないブルーイット判事にも、愛がなんたるかを、欠片でも与えてやることはできなかったのだろうか。
私の読みが甘いのもあるだろうが、納得しかねる描写が多くあり、世界観に入っていくことができなかった。SF筋肉があまりついていないというのも、あるかもしれない。