羊と鋼の森

羊と鋼の森

宮下奈都(2015)

文藝春秋

感想

「ピアノで食べていこうなんて思っていない」
和音は言った。
「ピアノを食べて生きていくんだよ」(p.175)

なんという金言、なんという至言。音楽をする人間に限らず、プロ・アマ問わず何らかの創作活動をする人に刺さる素晴らしい言葉ではないだろうか。実際、私には深く、鋭く刺さってしまった。最近、とある文学賞に箸にも棒にも掛からない形で落選して悲しい気持ちになっていたけれども、この言葉のせいで諦めるという選択肢がなくなってしまった。やっぱり私はどうあっても書くことをやめられないんだなと、勝手に共鳴してしまった。

また、私の個人的な事情をさておいても、本書は音楽の醍醐味に満ちている。というのも、作中でも言及されているように、音楽には優劣がない。もちろん、数多の賞はあるけれども、その一方でアマチュアピアニストや趣味でピアノを弾く人々多くいる。そして我々は、プロでない人々の演奏を聞いても心から歓ぶことができるのである。なぜか、音楽に身体性が伴っているからだ。

演奏は、肉体の動きである。ピアノであれば、奏者の感情や肉体が指先へと移って鍵盤を動かすことで音が鳴る。この一連のダイナミズムによって、聴き手の心身に肉薄した振動となり、優劣を越えた感興を味わうことができるのである。作中での和音にせよ、由仁にせよ、寡黙な男性にせよ「今このときにしか聴けない音楽(p.174)」と表される、その場その時でしか出せない音を味わえる素晴らしさを、主人公を通して追体験できることが本書の魅力である。

なんだけど……。

本書には1点だけ、どうにも看過できないポイントがある。それは、登場人物が皆「たとえ」を多用することによって、著者の姿が透けて見えてしまう点である。主人公の勤める会社には、主人公、柳、秋野、板鳥、北川、社長が在籍しているが、明確に「たとえ話が多い」と説明されるのは柳ただ一人である。ところが、この5人全員が柳と似たようなたとえ話を頻繁にするのである。

一応、同じ会社に所属しているからこそ言動が似てくるみたいな解釈をすることも可能ではあるけれども、どうしても著者の姿がうっすら浮かび上がってきて、物語に100%入り込めなかった。上述したように内容はこの上なく素晴らしかっただけに、この1点だけがどうしても気になってしまった。とはいえ名作であることには違いない。

余談

本書を、「音楽」をテーマにしたピアノ演奏付きの読書会で知ったからこそ、唯一無二の読書体験ができたと思っている。読書会、最高。

https://note.com/fukkar/n/n70ffe98886e4