文化人類学の思考法
松村圭一郎, 中川理, 石井美保
世界思想社
感想
この本は、すごい。とにかく、すごい。
本書の表題には「文化人類学」とあるが、それに限らずあらゆる場面での思考の補助線になれる本であると確信した。小説でも、ノンフィクションでも、エッセイでも、一般書、専門書、何であれ、本書を土台にして読むことで、ただ読むだけに留まらず、新たな地平を開けるきっかけになると強く感じた。
実際、私は本書を読んでいる間に様々な本とリンクして、脳内のニューロンが終始発火していた。例えば、序論では「ことばと思考(岩波新書)/ 今井むつみ」や「勉強の哲学(文藝春秋)/ 千葉雅也」が頭に過ったし、2章では「アラブ、祈りとしての文学(みすず書房)/ 岡真理」を思い出した。このように、本書は読者の思考のハブとなって様々な記憶や経験を結び付けてくれる点で非常に優れている。
さらに、本書は表題の雰囲気とは正反対にとても読みやすい。学術書のような堅さはなく、かといってビジネス書のような軽かるしさもない。(あくまで私にとってだが)丁度良い文章の堅さと柔らかさで、読みにくさによる頓挫が発生せず、ぐんぐん読み進められる。各章自体はそれほど長くないので、定期的に気分転換できるのも大変良い。
最後に、私の大好きな一節を語る。
田舎の村々で民話を採集していたイェイツは、ある老婦人から多くの妖精譚を聴きとる。やがて夕闇が迫り、老婦人の家を辞した彼は、庭の木戸のところでふと振り返り、こう尋ねる。「あなたは妖精を信じているのですか?」。老婦人は頭をそらせて笑い、「いいえ、まさか!」と答える。ややあって、小道をたどり始めたイェイツの背中に、老婦人の声が追いかけてくる。「でも彼らはおりますよ、イェイツさん、おりますとも」
p.67 4 現実と異世界
これは文学である。誰が何と言おうと、文学である。
この老婦人は、矛盾した思想を抱えている。妖精の存在を信じていないようでもあり、信じているようでもあるが、これらの相反する思想は衝突することなく共存している。私は、ここに文学、ひいては人間の愛すべき点を見出せるように思う。
前提として当然だが、人間は物理法則には逆らえない。生身で空を飛ぶことはできないし、指から光線を出すこともできない。目に見える世界の事象は基本的には矛盾せず、折り合いをつけて存在している。エッシャーの絵のような空間はあり得ないとされるからこそ、フィクションとして騙し絵は人気が高いのだろう。
しかし、矛盾を受け入れ、止揚させられる唯一の場がある。それが、思想であり文学なのだ。相反する思想を受け止めて、新たな思想へと発展させていく行為は、極めて人間らしい営みであり、私はそれがたまらなく大好きなのである。
先に引用した話に戻ると、特に文学や思想に秀でているとは思えない一般の老婦人にでさえ、この止揚の思想が根差しているのである。つまり文学や哲学のような人為的な止揚が行われたわけではなく、ごく自然に、日々の生活のなかで醸成された止揚なのである。だからこそ、私はあの文章に強い感動を覚えるのである。
どこかの死神ではないが、人間というものは、あまりに面白すぎる。