誰?

アルジス・バドリス, 柿沼瑛子(2022)

国書刊行会

感想

最高

「きみはマルティーノなのか?」
[略]
まるでとてつもなく困難で誇り高い何かをなしとげた若かりし日を思い出したかのように。
「いいえ」

この「いいえ」という返事は、マルティーノ本人ではないことを自白した意味にはならない。十四章以降から語られるように、彼は正真正銘マルティーノである。しかし、かつてのマルティーノではない。物理学以外の全てを捨てて、天才として生きる科学者マルティーノから、生産と腐敗の流転の狭間で働き続ける農民マルティーノへと変化したことを表しているのだ。

この変化は、彼の顔を覆う金属のマスクの描写にも表れている。かつては「ぴかぴかの金属製の卵型をしており、表面はつるんとしたのっぺらぼうだ」ったのが、やがて「微細な掻き傷や擦り傷で古つやを帯び、金属の光沢をわずかに曇らせ、光を反射する際のまぶしさを和らげ」るに至る。傷・曇りは本来ネガティブな描写であるはずなのに、どことなく暖かみを覚えるのはきっと気のせいではなく、彼が人間的に厚みを増したことが伺える例である。

このように、マルティーノがマルティーノ本人でありながらも「いいえ」と答えたのは、こうした人間としての変化があったからに他ならない。かつては国境の検問所に降り立った際に「自分が失ったものは何ひとつない」と慢心甚だしくひとりごちていたが、昔の知り合いとの再会と離別を通して、新たな人生を歩みだす。つまり、たった三文字でしか紡がれない言葉の中に、彼の半生がぐっと凝縮されているのだ。

そして何よりも、彼はこの「いいえ」という言葉を、「まるでとてつもなく困難で誇り高い何かをなしとげた若かりし日を思い出したかのように」発したのである。彼は多くの過ちを犯した。結果として、ただでさえ少なかった縁さえも切れて、ほぼ完全な孤独となってしまった。しかし、それでも、自身の人生に誇りを見出すのである。それは天才科学者である自分と奇形な農民である自分の両方を認める行為であり、この大いなる肯定の光は、彼の顔面以上に眩く輝いている。

これはもはやただのSFサスペンスミステリのエンタメ小説ではない。言葉にできない、言葉にならない途方もなく大きな経験や想いを、ごくごくシンプルな「いいえ」という言葉に濃縮した瞬間に、本作は歴とした文学作品に昇華したのである。エンタメ性がありながらも、マルティーノという一人の人間が自己を、文字通り外見とともに再構築する過程は、あまりにも味わい深く、傑出している。