娘について
キム・ヘジン, 古川綾子
亜紀書房
感想
パワフル、とにかく、パワフル。そしてエンパワメント、かくあれかし。
家父長制、家族制度、異性愛、資本主義、新自由主義 など、主人公が当然としていた価値観が揺らぎ、否応なしに向き合わされて傷つきながらも、「いくつもの明日を通り抜けていけるはず」と信じる主人公の精神力たるや。同性愛者でありデモ活動を行う娘の価値観を理解できなくても、「生の中心にいる」ということは身をもって実感し、言葉には出せないながらも考えをすり合わせて受け入れる主人公の心の強靭さたるや。とにかく余裕がなくて、誰もかれもが他者に無関心になり、お金を媒介とした付き合いが中心になっていく中、それでも大切に想う赤の他人のために行動する主人公の意志の強さたるや。
これをエンパワメントと言わずしてなんであろうか。
ところで感想文冒頭にて、家族制度などの社会的な価値観を列挙したけれども、本書はそういった枠組みに一切囚われていない。主人公は、娘、娘のパートナー、ジェン、そして自分という、相容れないけれども大事な存在と向き合う実践を行っている。これは、具体的にどういう価値観を持っているかは関係ない。あくまで当人が、他者といかにして相互理解の可否の境界線を見定めて、それを受け入れるのかというところが肝なのである。
そして本書ではこの実践が、誇張無しに極めてエネルギッシュに行われている。どうエネルギッシュか説明する前に、横道に逸れる。「でこれいと・でこれいしょん!」というノベルゲームがある。死んで幽霊になった「あなた」と、「あなた」の好きなまだ生きている「きみ」が、二人の生死を巡って一週間を過ごす物語だ。本ゲームでハッピーエンドに至るには、「あなた」と「きみ」が何度も対話を重ねる必要があるのだが、その様子をナレーションがこう表現する。
あなたときみは ちがでるほどみにくさをぶつけあいましたが
ふたりは めくれあがったひふとひふのしたでようやっと
たがいのこころにふれたのでした。
本書「娘について」でも、まさにこの営みが行われている。主人公は、娘に対しても、娘のパートナーに対しても、ジェンに対しても、強烈な憎しみを持っている一方で、それが単に相手への憎悪ではなく、自身の持つ価値観にそぐわないからだと自覚している。だからこそ、憎しみ、ボロボロに傷つきながらも対話と行動を実践する。
結局主人公は、登場人物のいずれとも完全に分かり合うことはない。理解しても、言葉にできないことが多くある。しかし、そのような実践の末に語られる「果てしないいくつもの明日を通り抜けていけるはず、ただそう信じるだけだ。」という言葉には、確たるエネルギーがしっかりと籠っている。
苦悩と傷の果てに見える確かな底力を、本書は瑞々しく見せてくれるのだ。