韓国文学の中心にあるもの
斎藤真理子
イースト・プレス
感想
1,650円(2024年10月時点)の本とは思えない。学術書として4,000円くらいで販売されていても不思議ではないくらい韓国史と韓国文学について緻密に書かれており、とんでもない読み応えである。韓国文学に興味を持ち始めた私としては、全ページに付箋を貼りたかった。
加えて、本書は韓国文学や韓国社会について興味がない人でも読むべき本だとも思う。私はここで、「文化人類学の思考法(世界思想社)」を思い出す。この本では、序論にて文化人類学という学問の存在を、「比較を通して我々の『あたりまえ』を問い直すもの」だとしている。この文化人類学的思考の実践例が、まさしく本書であり、第一章にて以下のように語られている。
自分につながる女性たちの歴史を振り返るためのツールとして、韓国の小説はまことにちょうどいい弾力を持っていたのだと思う。[中略]似ていて違う韓国の文化だからこそ、それが可能になったのではないだろうか。
つまり、本書は韓国文学についての解説でありながらも、それらを通して日本の文学や社会について見直すきっかけにもなるのであり、全人類が読むべき本といっても過言ではない。ただ単に日本や韓国の社会について考えるよりも、それぞれが互いを相対化し、補助線とすることで、より理解を深められるのである。
また、私が韓国文学に惹かれる理由も、ここにあると思う。韓国社会は、日本社会とすごく似ている。とあるラジオではパラレルワールドと例えられるくらい、類似点が多い。私はここ数ヶ月韓国語の勉強をしているのだが、文法がかなり似ていて、日本語を話す感覚で韓国語の文章を組み立てられるので、この例えはあながち間違っていないように感じる。
しかし、韓国文学は日本文学とは似て「非なる」存在なのである。その一つに「パワフルさ」が挙げられる。先日感想文を書いた「娘について」のように、韓国文学には、溢れんばかりのエネルギーが詰まった作品が非常に多い。私は、この韓国文学の持つエネルギーに魅了されている。
そして、そのエネルギーが一体どこからやってくるのかを、社会的背景を踏まえて詳細に解説しているのが本書である。初学者である私は、「翻訳」という厳選作業を経た作品にしか触れられない一方で、本書では翻訳者として活躍する著者が未邦訳作品も含めて解説しているので、とても参考になる(冒頭にて著者はかなり謙遜しているが、十二分すぎるほどの内容だと思う)。
本書は、韓国文学や韓国社会を知るためとしても、それらを相対化して日本について考え直すためにも読むことができ、ページ数や値段以上の価値がぎっしりと詰まっている。「文化人類学の思考法」の感想文で書いた「あらゆる場面での思考の補助線」という言葉が、そっくりそのまま本書にも当てはまり、必読書とも言える一冊だった。