本とはたらく
矢荻多聞
河出書房新社
感想
本をつくることに対する、著者の並々ならぬ想いが感じられた。タイトルも、本書を手にしたときには何気ないよくあるものだと思っていたが、読了後に眺めると味わいがまるで違う。著者にとっての「本」、著者にとっての「はたらく」。そこには言葉にならない、生へのエネルギーが隠されているように感じる。本について、はたらくことについて問いかけ続けてきたからこそのシンプルな重みが、タイトルに込められているように思う。
特に後半の、紙の本について、地域について、出版について、何かをつくりあげることについて、はたらくことについて、社会について、それらに関する考え方には同意できることも多くあり、すぐに何らかの行動に移せないまでも、大切な価値観として認めることはできる。モモを読んだときに感じたものと近しいかもしれない。わかっちゃいるんだけど、今すぐにどうこうできるわけではない、とはいえそういう生き方を知っておくだけで心が軽くなるよねって感じ。
ただ……ただ……!!!
正直、前半が鼻につきすぎて、後半になっても心が本に100%浸からなかった。というのも、本書の前半では、著者の人生を説明するために、著者の想定する「普通」を批判する内容がしばしばある。例えば、普通に通学して先生の言うことを聞く者、普通に出勤してお金を得るために働く者などがその対象である。これらへの批判が、凝り固まった価値観への提言・進言のようなものであるならば、反論はあれどまだ受け入れられるが、自身の人生を肯定するために批判するのは少し間違っているように思う。
なぜなら、日本社会に馴染めなかった著者の若い時期に限らず、著者の想定する「普通」に生きる人々の人生もまた無条件に肯定されるべきであり、そこに貴賤はない。比較したほうが理解の助けになるというのは確かだが、かといって他者の人生の在り様を否定するのは違う。特に、著者の来歴は唯一無二であるので、わざわざ「普通」と比較して説明する必要もないと思う。
まあ、著者も「ステレオタイプに見ていただけかもしれないが、そのときのぼくにとっては切実な悩みだった。」と当時を振り返っているので、「普通」を憎むほど忌み嫌っていたことの表れと読めるだろう。とはいえ、一読み手として、前半の回顧録がとにかく鼻について、後の章にまで影響してしまった。
後半が良いだけに、本当にもったいなく感じた一冊だった。