#Z世代的価値観
竹田ダニエル
講談社
感想
私もZ世代のはずなのに、全く知らない社会について述べられていて困惑した。冒頭にて、Z世代は生まれた年代でなく、「価値観」によって選択可能なものとされているため、もしかすると私はZ世代に生まれながらも、Z世代的価値観に触れる機会のない社会に生きているのかもしれない。
というのも、疑問符だらけなのである。そんなにパートナーが必要なの? そんなにマリファナが必要なの? そんなにパーティーしたいの? そんなに夏を楽しまないといけないの? と、私の中に存在していなかったものの必要性について延々と語られるため、「Z世代」とありながらも遠く異国の地に想いを馳せる気持ちになった。実際、サラダボウルアメリカと極東日本には物理的にも大きな隔たりがあるため、当然といえば当然なのかもしれない。
ここまではあくまで受け入れることのできる価値観の相違なのだが、その一方でどうにも納得しかねる価値観もある。それは、以下の一文に凝縮されている。
Z世代にとってはそもそもアイスコーヒーを片手に街を闊歩すること自体が「生産的」で「クール」な省庁なのである。(p.55)
新たな時代、新たな価値観を標榜する本書における象徴が、「生産的」で「クール」でないといけないところに、大きな違和感を覚える。Z世代(的価値観を共有する人々)は、「非生産的」で「ナンセンス」な姿を許せないのだろうか。若者に支持されるステータスシンボルというのが「スケージュールがみっしりと埋まっていて、常に忙しく飛び回っている『クールな人』」であるならば、Z世代的価値観も結局のところは資本主義社会に吸収されて、消費サイクルの一部に組み込まれてしまうのがオチではないだろうか(p.94の、本物のデインフルエンスの波は起こりえないという論が、これに近い気がする)。
当然、Z世代的価値観には、指標とするべき新たな価値観も存在する。個人的には、風邪をひいたときと同じ感覚でメンタルヘルスの状況が良くないと伝えられる風潮に向かおうとしているセラピーの広がり(p.32)や、エブエブに端を発する世代間の相互理解(p.70)が印象に残っている。だからこそ、広まっていくべき価値観を含めてZ世代的価値観が資本主義に接収されそうな予感を強く感じることに不安を覚える。
とはいえ、期待も不安もひっくるめて私の知らない社会や価値観を知るきっかけになったことは確かである。本書を読んだときに感じた驚きや違和感は、自分がとても狭い世界で生きていることの証左であり、忘れないようにしたい。