救出の距離
サマンタ・シュウェブリン, 宮崎真紀
国書刊行会
感想
本編のみ読んで
今にも何かが起きそうな緊張感のまま、何も起こらずに物語が終わってしまった。言うなれば、起承転転転転転……のような、ドキドキしたままカタルシスなく読了してしまい、正直困惑している。作品世界の雰囲気が好きだからこそ、勿体なく感じる作品だった。
また、表題でもある「救出の距離」については、何回も言及されている割には膨らみがなくて物足りない印象を受ける。ただ伸びたり縮んだりした挙句、ちょっと目を放した隙に事故が発生するだけで、それ以外の含意を読み取ることができなかった。
一方で、序盤から中盤にかけての、徐々に主人公の周囲の情報を明かしていく手法は面白く、恩田陸の「木曜組曲」や「猫と針」、アンディ・ウィアーの「プロジェク・ヘイルメアリー」を思い出す。加えて、字の太さで発言者を分けることで、主人公と他者の境界が曖昧になっている様子を演出するのも、臨場感が増していて良い。
同じシリーズの「寝煙草の危険」もあまり刺さらなかったことを鑑みるに、地球の裏側で書かれた(正確には本作はベルリンで書かれているが、著者がアルゼンチンの作家を自認しているそうなので、ここではアルゼンチンの作品とする)作品を味わう素養が、私の中でまだ育っていないのかもしれない。某ラジオにてSF小説について語られた際に、「SFの筋肉」という言葉が用いられていたが、私には「スパニッシュホラーの筋肉」が付いていないのだと思う。
訳者あとがきを読んで
「読者を不安の中に宙吊りにし呼吸を奪う(p.180)」や「個人の出来事は自然とユニバーサルになるものだと思う(p.185)」あたりが本書を読む上でのキーワードになると思う。前者については、私の感じた「起承転転転…….」への回答になるし、後者は作品世界の深みを増してくれる言葉になる。
また、著者の生きてきた世界を全く知らないことも大きいと感じた。性差と親子の価値観や、環境問題など、背景を知っていればより楽しめたように思う。(地域に関係なく、そういう社会問題に興味を持っておけよという話でもある。恥。)
感想文を、上から下へと一直線に書いてきた結果、正直冒頭に書いたときほど本書が刺さらなかったとは思わなくなってきている自分がいることに気付く。訳者あとがきを読んだ上でもう一度本作を読み返しても、アマンダの口述による追体験の生々しさとおどろおどろしさの新鮮さは失われておらず、その筆力に驚かされる。やっぱり「スパニッシュホラーの筋肉」をもっと鍛えるべきなのだろう。