他者といる技法
奥村隆
ちくま学芸文庫
感想
私が、社会やコミュニケーションに対してぼんやりと感じていることが明確に言語化されていて、示唆に富んだ一冊だった。私にとってはフックになる箇所が多く、今まで読んできた様々な本が想起された。例えば、「思いやりの体系(第一章)」で語られる、「主体の先手を取る」という論では、「韓国は日本をどう見ているか(キム・キョンファ)」の「自己満足的な『すみません』文化」を思い出し、「リスペクタブルである」ために語られる「深層演技(第四章)」では、「感情と看護(武井麻子)」の看護師としての患者との付き合い方を思い出した。
このように本書が、社会とコミュニケーションをマクロな視点で描出しているからこそ、ミクロな視点の本たちと様々な反応を起こすのだろう。枠組みを提示することで、それを補助線に個々別々の事例についてより深く考えられるようになるのである。
一方で、本書はあくまでも枠組みの説明と分析に終始しており、その分析を踏まえた上でどのような展望を見出すかについて主張されなかったことが、少し物足りなく感じる。第三章では、外国人に対して、主体・客体、ポジティブ・ネガティブの2*2の4象限でどのような技法が現れるかを論じているが、既に存在する技法への批判に留まっており、まだ見ぬ「主体*ポジティブ」の技法には、「この文章で考察できる範囲をはるかに超えている」と締めくくるのである。
私は社会学についてド素人中のド素人なため、著者の領分がどのようなものなのかは全く知らないが、枠組みを提供するだけして、あとは各々考えてねという文章には、少し無責任さを感じてしまう。本書の表題を「他者といる技法」とするならば、技法の前提となる社会やコミュニケーションについて分析するだけでなく、それを踏まえたアクチュアルな「技法」についても触れてほしかったと思う。
(余談だが、先述の「相手を『主体*ポジティブ』としたときの技法」については、ケアの倫理を下敷きにすることで見通しが良くなるように思う。本書で語られるのは、結局のところ<承認と葛藤の体系>に潜む「主体の奪い合い」である。しかし、コミュニケーションをその一言で語ってしまうには、あまりに視点がマクロすぎる。人には、自身の主体を守るための「思いやり」だけでなく、他者の感情に触れた上で実行される「思いやり」も存在する。翻って、本書で提示される体系だけで全てを考えるのには無理があり、結果としてケアの倫理にある、「その都度その都度考えていく」ということが大事になるのではないだろうか。)
著者自身が文庫版あとがきで触れているように、本書には冗長な部分や、情報の古い箇所がある。本書の執筆当時はSNSも登場していない時代であり、現代のコミュニケーションとは異なるところが多分にあることも否めない。しかし、<承認と葛藤の体系>とそれに関連する転形が、社会やコミュニケーションの一側面を考える上で、現代でも有効であることには違いない。余談でも述べたように本書を絶対的な指標にすることは好ましくないが、十分に示唆に富んだ面白い本ではあると思う。