優しい暴力の時代

優しい暴力の時代

チョン・イヒョン, 斎藤真理子

河出書房新社

感想

人生の苦しさは、何気ない一言から生まれるのかもしれない。著者は表題や作家の言葉で「優しい暴力」「親切な優しい表情で傷つけあう人々の時代」だと表現するこれらの言葉は、皮肉でもなんでもない事実なのだろう。

本作は、そういう優しい暴力に対して、解決策が提示されているわけではない。優しい暴力による苦しみが、じっくりことこと煮詰められているだけである。そのため、体調が悪いときに読めばより具合が悪くなること請け合いなのだが、多少余裕のあるときに本書を読むと、その奥深さ・味わい深さを濃密に楽しむことができる。

短篇に登場する人々の身には、大なり小なりあれど、特別な出来事や度を越した幸運・不運が起きることはほとんどない。物語は極めて平坦に、少しの不安を纏いながら進んでいくだけであるため、字義通りの「面白さ」はない。しかし、文章の一つ一つから、確かに存在する「生」が滲み出ていて、短編とは思えないボリュームがあり、「文学」の名に相応しい作品群のように感じる。

以下、各話のメモ(=走り書きなので日本語がぐっちゃぐちゃ)

ミス・チョと亀と僕

嗚呼無常。物語自体は短いが、本書の描くスコープは長い。自身より遥かに長く生きる岩(亀)と、自身より遥かに長く存在し続けるシャクシャク(猫のぬいぐるみ)を撫でることで、生まれる前から、死んだあとまでを見通し、自身の生を、ありのまま捉え直す。

エブリシンエブリワンオールアットワンスを少し思い出す。母と娘が対話に及ぶのは、互いが石になってからという点で、本書もまた、「岩」と名付けられた亀に触れてようやく自身の心が何にも振り回されない、心そのものになって、主人公の眼前に現れたのではないだろうか。(深読み)

ともかく、行間をたっぷりとりつつも、様々なものに触れる「感覚」はしっかり描写していることで洗練された、心に深く沁みる作品になっているように感じる。良作。

何でもないこと

亀の話と合わせて読むと、より味わい深くなる作品。両方とも、一人生の些末さ、無常さについて描いていると思われるが、亀がそれほど痛みを伴わない、自身を見つめ直すというある意味で楽天的な無常さだとすると、本作は、自身や娘に起きた苦しみをも文字通り「何でもないこと」として扱ってしまう悲観的な無常さである。

夫が不在の中娘が16歳で妊娠して未成熟児を出産したという、ミクロな視点で言えばかなり重たい出来事であっても、世界というマクロな視点ではお構いなく「並はずれて青」い空が広がっているのである。何もなければ気持ち良いと感じるはずの青空を、「ふたとなってこの世をおおっているよう」に感じる心証の重苦しさたるや、察するにあまりある。

1つの風景が、心次第で大きく見え方が変わるという点で文学作品らしい作品に感じた。

私たちの中の天使

世の中や人生の、劇的ではなくゆっくりと動いていく苦しさが緻密に描かれていて、唸らされる。私は特に、デッドデッドデーモンズデデデデデストラクションを思い出した。宿題をやらずに夏休みの終わりを迎えつつあった小学生の主人公門出は、宇宙人襲来をニュースで観て、友達に「宿題をしなかった私の勝ちかも」と言い放つもしかし、日常は案外壊れずに進んでいき、門出は落胆するという描写がある。

日々が幸せであればそれでも問題ないのだろうし、その方がありがたいのだろう。しかし人生は、実際問題罪と苦しみの連続である。そして、遅々とした歩みで進む人生は、その苦しみを宙ぶらりんにして長引かせる。そういう観点で、本作は短編ながら人生の苦しみを表現し尽くしているといえる。読む人生。嫌だけど癖になる。

ずうっと夏

どうしようもなさが虚しい、されど最後に少しだけ主人公に意志が宿った、不思議な後味の作品。

主人公が、コンギをするメイを「怖い」と思った上で押して怪我をさせてしまったのはなぜだろうか。初めて仲良くなれた人が、他の人とも仲良くなっていくのが、寂しかったからなのか。意思疎通を図れた相手が、それまで無関心を装ってきて相手とも意思疎通できるようになることで、得体の知れない人間になっていくのが怖かったのか。コンギでたくさん手を叩き、年月があっという間に過ぎ去っていってしまうことを恐れたのだろうか。

どれも、近からず遠からずな推測に感じる。それほどに、彼女の心は複雑で、だからこそ読者としては読み応えのある作品なのだろう。

夜の大観覧車

正直、ここまでの他の作品と比べるとキレがない。というより、考察の余地が膨大になってしまうほど、開示されている情報が少ないことが問題だと思う。この本の短編が、全体的に行間を読むような構成になっているものの、流石に、本作ばかりは行間がありすぎて読むのが楽しくなかった。

引き出しの中の家

夫婦の軋轢や、家を買うことで引き返せなくなる得たいの知れない恐怖を書いているのは理解できるものの、韓国の不動産システムが諸悪の根源ではと思わずにはいられない。

前住人が退去していない段階で契約すれば、そりゃトラブルが発生するだろうと。特に、前住人がいる状態での内見も、前住人・次住人双方にとってストレスだろう。チョンセって、どういう経緯で成立したんだろうね。

アンナ

ここまで読んだ中で、キム・ジョンみを1番感じた。男性の不在、育児を誰にも相談できない母親、苦しい転職市場。

こう、せっかく仲良くなれたと思っても、互いの不幸マウントで仲違いしてしまうのは悲しいね。相手を思いやる力をほんの少し持てば、多少は世界がマシになるんではないかという性善説的言説を、容赦なく打ちのめしてくる複雑さ。人生の虚しさが詰まってる