アーモンド
ソン・ウォンピョン, 矢島暁子
祥伝社文庫
感想
やはりおはなし、おはなしがハッピーを生むんだっピ。(お話教信者)
ユンジェとゴニは、ただの友達である。特殊な何かが介在しているわけでもなければ、特殊な付き合い方をしているわけではない。ゴニの暴力をユンジェが受け流した先で、「対話」が為されただけである。ただただ「対話」して、その結果、友達となったのである。それ以上でも、それ以下でもない。
とはいえ、「対話」というのは思いの外実行するのが難しい。相手と対等でいる必要があるからだ。ユンジェやゴニの場合は、彼らの持つ特性によって、薄気味悪がられたり、恐れられたり、蔑まれたりするために、そもそも他者と「対等」になることだけでも困難を極めている。しかしそれは、彼らに限った話ではない。本作では傍観者として語られる人々、ひいては読者にとっても、誰かと「対等」になった上で「対話」するというのは難しいものである。
ドラの存在が、それを示している。ドラは、本書内ではどちらかというと傍観者の立場で描かれている。ユンジェやゴニのように、校内の浮いた存在ではないからだ。しかしそんな彼女も、両親と「対話」できないでいる様子が描かれる他、図書室で人目を忍んで運動するなど、対話のなさが伺える。このように、「対等な対話」は遍く全ての人々にとって、程度の差はあれど達成が困難な所業であると言える。
だからこそ、ゴニとユンジェの友情には、胸を打つものがある(ユンジェとドラの関わりも素晴らしいのだが、一旦省略する)。それは決して、ユンジェが自身の命を顧みずゴニを救ったことに起因するものではない。あくまで彼らが、対等な目線で、真正面から言葉を交わしたからである。先入観を抜きにして、相手と対話する姿というのは、心に深く刺さる眩しさがある。
それから本書が、「刺されたユンジェ生存」「植物状態のユンジェ母覚醒」「ゴニの正当防衛が認められてユンジェと再会できるようになる」という、ハッピーエンドの大盛りで幕を閉じるのも、私にとっては素晴らしいと思えた。対話をもって友情を育むという、誰にとっても困難な所業を成し遂げた二人には、ご都合主義とも思える有り余る祝福、もとい著者による愛はいくらあっても足りないくらいである。
このように、本作は愛に満ちているが、決してサクッと感動できる「コンテンツ」的な代物ではない。読者の心に深く根差す、簡単には消費させてくれないでっかい愛が、確実に存在している。ゆえに、様々な賞を受け、ベストセラーになるのである。きっと、本作は時代を越えても読み継がれる不朽の名作となるだろう。