コミック・ヘブンへようこそ

コミック・ヘブンへようこそ

パク・ソリョン, チェ・サンホ, 渡辺麻土香

晶文社

感想

コミックヘブンへようこそ

大きなイベントが発生するわけでもなく、徐々に大雨で浸水していく半地下の漫画喫茶を淡々と描いているだけなのに、どこか超常的な雰囲気があって、その奥行きに魅了される。

停電し、電波も届かない、半地下の漫画喫茶という場所はある意味で現世から隔絶されている。ゆえに漫画喫茶と名のついた場所でありながらも異界を想起させ、SFのような読み味になっているのだろう。漫画喫茶にいるのは主人公含めわずか二人で、交わす会話も二言三言程度。されど不思議な連帯感もあって、旅に近い雰囲気も感じられる。

30頁程度の短いお話でありながら、漫画喫茶というありふれた場所でありながら、しっかりと奥行きを持った世界観が構築されていて、不思議で面白い作品だった。

自分の場所

邪悪、ただひたすら邪悪。日常でありながらも澱のように溜まる悪意を描いた後の、「わたしはいつから、こんなささいなことで心から感謝できる人間になったんだろう?(p.56)」という言葉が胸に深く刺さる。本来は、些細な幸せにも気づけるというのは、ポジティブな意味合いで語られるはずだ。本書がかき消されがちな日常の声を書き出すことをテーマにしているように、ややもすると見逃してしまう幸せをしっかりと見つめるのは大事なことである。

ところが、本作での言説には、どうしてこんなにも虚しさを感じてしまうのだろうか。もちろん、主人公ジスさんが些細な幸せに自然と気づけてしまうほどに、幸福が枯渇しているからなのだろうが、虚しいと済ますには惜しいほど複雑な感情が宿っているように思われる。その後の、車窓に頭をぶつける描写を含めて、何気ない日常でありながらも闇の濃い影を落としているコントラストが印象的な作品。苦しいよ。

ほとんど永遠に近いレスリーチャンの物語。

傑作。「自分の場所」で溜め込んだ苦しみが一気に発散されるようで、爽やかで穏やかな気持ちに満ちている。

「そして~p76」の発言は、情報を伏せながらも未来の明るさを暗に示していて、あまりにもお洒落だし、その直後に3頁丸々使った色鮮やかな絵が広がるのも良い。素敵な文章を読んだあとに、すぐ次の文章を読むのでなく、一旦余韻を楽しむように絵を見せてくれるのは、中々ない読書体験ですごく楽しい。

物語の展開、登場人物のセリフ、本としての構成、全てが一級品の極上の一作。

ミニョン

不穏なラストを、絵の美しさが調和してくれる宙ぶらりんな作品。

個人的には、「わたし」はミニョン本人で、仕事がブラックなあまりミニョンでない者になりたいと願ってしまった結果なんじゃないかと思う。

秋夕目前

いとこのシスターフッド。いとこという間柄らしく、近すぎず、遠すぎずな距離感が心地良い。相変わらず男性陣が邪悪だけれども。

恐竜マニア期

感情と思考の表現力がずば抜けている。「そういうことをきっかけに、人をかわいいと思っちゃいけない気がするんだけど。(p.132)」という、逆説的な、相手への好意。なんていじましいんでしょうか。顔が赤いと描写されているのはミンヒョンのみではあるが、ジュリの表情への想像はこの一文で十分に膨らませることができる。それほどに、味のある一文である。

また、ジュリとミンヒョンは最終的に付き合うことにはなるけれども、愛し合うほどの関係ではない。ジュリ自身、「彼を好きになれるかどうかはまだわからない(p.134)」ものの、「わたしのことを好きになってほしいとは思った」のである。愛ではないけど、好意はあるような、微妙な感情が見事に表現されていて、天晴の一言に尽きる。

Love Makes the World Go ‘Round

抽象的だけれども、推進力があって明るい気持ちになれる良い作品。ベが、高価な椅子を笑える椅子として記憶させたのも、ロが、ベに寿司を食べさせたいと思ったからそこに寿司屋があったのも、相手を想い、意志を持ったからこそ為せる所業なのだろう。世界に、絶対的な要素があるのではなく、揺れ動き変容する世の中を、自身の志向によって動かしていく様子は、エネルギッシュであり、元気を貰える。

IDはラバシュー

ここまで読んできた中だと、一番コミカルで星新一的な面白さがある。そもそもゴムシンという韓国特有の文化を知らなかったので、新しいことを知るという点でも楽しく読めた。物語の顛末は、ゴムシンに限らず、韓国に限らず、どこの国でも起こりうるお金と自己顕示欲の問題だけれども、兵役中の彼氏の除隊を待つ30代の女性の質感が独特で、印象はかなり強烈なものとなった。

ミルクメイド

あま~~~~~~~~~~い!!!口から砂糖、もとい甘ったるいミルクが出ちゃうよ~~~~~~~~~~~~!!!

登場人物のうちの一人が作家ということしかわからないまま会話が進んでいき、どうお話が着地するのかと不安に思っていたところに、特大級の爆弾を投下されて、心が木端微塵に粉砕されました。全編通して感じたことでもあるが、著者のパク・ソリョン作家は、特別でない人たちの何気ない感情を表現する技術が卓越している。そして、そういう良い意味で遠回しな表現というのは、死角から突然飛んでくるから、読者たる私は一気に心を鷲掴みにされる。

甘い、でも、素直な甘さじゃない。いや~、最高。