翻訳のレッスン

できる翻訳者になるためにプロフェッショナル4人が本気で教える翻訳のレッスン

高橋さきの, 深井裕美子, 井口耕二, 高橋聡

講談社

感想

翻訳の魅力や面白さがこれでもかと言うほどぎゅぎゅっと詰まっていて、翻訳によって生み出される成果物よりも、翻訳という行為そのものに存在する価値について考えさせられた一冊だった。私は翻訳について何一つ知らない素人だけれども、DeepLやGoogle翻訳では得られない良さが人間の翻訳には多くあることを学ぶことができ、蒙を啓かれたような感覚になった。

特に驚かされたのは、翻訳家らが、翻訳について途方もないほど考えている点である。原著者の思考を汲み取りつつ、訳文の可読性についても考慮するという命題を筆頭に、文章の区切りや語句の選択など、考慮事項はとにかく多岐にわたる。本書では「準備で7割」と説明されていたが、それほどまでに「翻訳」という行為に係る種々の思案は広く、事実上そのゴールはない。

しかし一方で、これこそが「翻訳」の素晴らしさだとも感じた。なぜなら、「翻訳」を通して、原著に対しても、訳文に対しても、これ以上ないくらい深い洞察を得ることができるからだ。たとえ原著の言語をネイティブと遜色ないレベルで読めたとしても、余程意識しない限り、翻訳家ほどの読みの深さにはならないとさえ思える。原著者の執筆時の思考プロセスを再現するような読み方によって、新たな角度や側面を見出すことができるのではないだろうか。

つまり「翻訳」は、それによって得られる「訳文」以上に、「翻訳した人」本人へのフィードバックの多い行いだと言える。もちろん私は素人なので、実体験に基づいた考えではないものの、本書を読んでいるとどうも、「成果物」よりも「翻訳という行為そのもの」に魅力を感じるのだ(だから最近、翻訳に挑戦してみるページを作ってみた)。

以上の通り本書は、「翻訳」の魅力を余さず伝えているのだが、加えて、翻訳を始めてみる人に対しても大変親切な作りになっていて、沼に引きずり込む仕掛けがしっかり整っている本でもある。翻訳家からしたら当然かもしれないような事柄(最たる例はテンス・アスペクトについてだろう)も零さず取り上げてくれているので、「翻訳」そのものへの学びも非常に多い。翻訳の練習中も、チェックリスト的に何度も読み返せるようになっている。

ここまででも大変ボリューミーな内容なのだが、本書のさらに素晴らしいのは、翻訳家たちによる対談があることだ。特に、その熱量が素晴らしい。何十年も翻訳家として働いてきた方々の、「お金」や「作業」に成り下がらない誇りと熱意が至る所から伝わってきて、読者たる私も熱い気持ちにさせられる。ここ十数年で、大量学習による自動翻訳の趨勢がかなり強まってきたけれども、翻訳家らの対談を読んでいると、きっと「翻訳」という行いが無くなることはないのだろうと思わせてくれる。

このように、本書は1)翻訳の魅力がわかる 2)翻訳のポイントを学べる3)翻訳家たちの熱量を読めるという隙のない三点によって、素晴らしい一冊となっている。本書を生み出すような方々によって、たくさんの海外の素敵な作品を読めているのは本当に幸せなことである。翻訳をしようとしなかろうと、読んで損はしないし、むしろ一度は読んでおくべきである。