独立国家のつくりかた
坂口恭平
講談社現代新書
感想
著者の活動が社会的に意義のあるものだと理解できる一方で、どうにも文章が好きになれない。正直なところ、ポジショントークの気を感じてしまう。早稲田大学に入学できる財力があって(しかも指定校推薦)、執筆時点で既に年収1,000万を越える人間が、お金なんて大事でないと主張するのは、正論であれども、結果論のようにも思えてしまう。
また、本書には「態度経済」という著者の造語が登場するが、それにも中々同意はできない。
ただ人が歩き、話し、ハイタッチする。それで経済がつくられる。なぜなら、そこにはとても心地よい家や町や共同体があるからである。それだからこそ、人々が密接に交易を行うことができる。
p.105 第3章 態度を示せ、交易せよ
……ハイタッチ、したいか!!!???
まあ、流石に重箱の隅をつつくことは言わないが、著者はどうにも共同体や人の交流を絶対視しているきらいがあるように思える。態度経済のみならず、モバイルハウスにしても、河川敷の畳一枚の「寝室」にしても、著者はプライベートな空間がなくてもさほど苦労しない人間なのだろう。それは、第2章の、「プライベートとパブリックの二つにきっちり分けてしまうと見失うものがある」と説明していることからも伺える。
そういった著者の主張や考えに、理解を示すことはできる。しかし、システム化された人生工場の自動生産ラインに乗って2000年代を生きてきた私にとっては、「密接」な交流それ自体がかなりの苦痛なのである。どちらかと言えば、著者の独立国家よりも、「ケアする建築」で紹介されていた「利用縁」のほうが私は安心して生存することができる。
とはいえこれはあくまで私の話。著者の思想に救われる人々がいるのは理解できるので、何か反論をするつもりはない。また、レイヤーを意識するというのは、どのような社会にいても大切なことである。「フィールドワークってなんだろう」の言葉を借りれば、「なめらかな社会とごつごつした社会」その両方を意識することが、社会、ひいては自身の人生をより良くすることに繋がるのだろう。