光のそこで白くねむる

光のそこで白くねむる

待川匙

河出書房新社

感想

SNSや帯での前評判が良すぎたせいで、自分の期待を越えなかった作品。面白いとは思うものの、絶賛されるほどの傑作には感じられなかった。帯に錚々たる作家を並べるのも考えもので、真っ白な背景に写真一枚が静謐に添えられている装丁も、主張の激しい宣伝文で台無しである。

小川哲氏と村田沙也加氏の言葉を借りるなら、確かに本作は「高度な文章技術」が「特別な文体」を生み出している。しかし、テーマや仕掛けにさほど目新しさを感じられなかったのは、私がひねくれているからだろうか。

例えば、角田光代氏の言う「性別すらも明示されないあいまいさ」というのは、恩田陸氏が得意とする「情報開示の制御」であるし、町田康氏の言う「平穏で退屈な田舎の景色をそのまま描いて異常となす」のは、因習系のホラーを始め、田舎小説のステレオタイプとも言える。また、本作の主人公が実はパラノイアのような倒錯した状態にあり、それを主観的に描いているというのも、例えば叙述トリックで有名な「殺りくにいたる病(講談社)/ 我孫子武丸」を彷彿とさせる。加えて、自他の境界線のない語りは「救出の距離(国書刊行会)/ サマンタ・シュウェブリン」のようなスパニッシュホラーを思い出す。

もちろん、令和の世で、古今東西の作品と要素が一つも被らないことなんてありえない。ただ、本作に対して「こんな作品今まで読んだことない」という形で賞賛の声があがっているのは理解に苦しむ。本作は、新奇な作品というよりもむしろ、熟練した筆運びで、一つの世界観を過不足なく描き出しているところが素晴らしいのではないだろうか。新人にありがちな荒削りなものでなく、丁寧に、されど丁度良い塩梅にぼかしが入っているからこそ、本作は得も言われぬ不思議な感覚を獲得していると考えられる。

やっぱり、小説を読むときには前評判を聞いてはいけないし、聞いてしまったとしてもそれを過度に信頼してはいけない。わかってはいても、ついつい期待を寄せてしまうのが罪なところで、各出版社には「近畿地方のある場所について(KADOKAWA)/ 背筋」の帯を見習ってほしい。過度に持ち上げた宣伝、ダメ、絶対。