夜想曲集

夜想曲集

カズオ・イシグロ, 土屋政雄

ハヤカワepi文庫

感想

本書は前半2篇と後半3篇で読んだ時期が異なる。短編集だろうと小説は一息に読む私にとって、これはかなり珍しいことで、新たな知見を得ることができた。というのも、前半と後半で抱いた感想が全く異なるのだ。具体的には、12月に読んだ2篇はあまり良い印象を持たなかったが、1月に読んだ3篇は概ね高評価だった。

当然、作品によって好みが異なるというのもあるだろう。しかし、一つの短編集で正反対の評価を持つことは中々なく、読むときの精神状態が色濃く影響を受けているのではないかと推測される。散々語られてきた話だが、小説というものは水物で、作品単体で完結しない奥行があり、そこが小説の面白さであり、難しさなのだろうと身をもって知った。

一方で、全編に共通することもある。それは、描写力の高さだ。「ジャン・クリストフ」のような、仰々しい文体でもなければ、「世界中の翻訳者に愛される場所」のようなすごく簡素なわけでもない。文章としての目を引く特徴はないのにも関わらず、描写が非常に鮮明な姿かたちで浮かび上がってくる。流石ブッカー賞とノーベル文学賞を受賞された作家なだけあり、これはもう天晴の一言に尽きる。

本作は、ハッピーエンドとも、バッドエンドとも言えない、アンニュイな作品が多かった。ただ、結果よりも過程にある感情の揺らぎが、時に繊細に、時に大胆に動く様子が印象的で、心地よさを感じたようにも思える。12月のメモでは好みじゃないと言っているけれども、最後まで読み通すと、不思議と癖になる味わいである。確かに直球の好みではないのだが、どこか惹かれてしまう魅力がある。他の作品も読んでみたい。

以下、各話の読書メモ。スマホへの走り書きなので、めっちゃ雑!!!!!

12月に読んだ

老歌手

本書を味わえる年齢に至っていないと思うのが正直なところ。老いと名声と愛が入り交じる感情が、思い出の曲に乗って夜のベネチアに響く。それを美しいと捉えるか、悲しいと捉えるかは読み手の持つバックボーン次第だとは思うが、こと私としては、哀れな気持ちになった。27年も連れ添ってなお愛し合っている関係を、名声のためにふいにするというのはなんとも勿体ない話で、虚しさを覚える。あと2,30年くらい年をとれば、私もガードナーの気持ちがわかるようになるのかもしれない。

降っても晴れても

「老歌手」同様、味わうには私の年輪が少ないと感じられる作品。たった8分だけ許された二人の時間に、言葉では表しきれない感情が詰まりに詰まっているのはわかるものの、登場人物の誰一人として相手の話をあまり聞かず、自分の話したいことを押しつけるように話しているので、少し不快感があって物語にのめり込めない。チャーリーとエミリの不和にしても、レイモンドを見下すことで解決を図るのではなく、まずは互いの話を良く聞くところから始めるべきではないかと思わずにはいられない。正論が全てじゃないという言葉が聞こえてきそうだし、実際私もそう思うところもあるが、とはいえ作品の味はあまり好みではなかった。

1/15に読んだ

モールバンヒルズ

中庸~~。

なんとなく不完全燃焼。落胆続きの人生か、それでも前向きに生きるのか、主人公にはゾーニャとティーロの二つの人生が提示されて終わる。

確かに、ここで終わることで、人生の良くも悪くも開けた可能性が引き立っているともいえるが、物語であるならば主人公の人生がここからどう展開していくのかを読みたかったとも思ってしまう。

夜想曲

才能のある売れないサックス吹きと、才能はないけど努力で成り上がった俳優との邂逅。他の短編よりもコミカルな分、込み入った情動とのコントラストで、より読み味の幅が広がっている気がする。ラスト一作まだ読んでないけど、今のところ一番好き。

モーバンヒルズと同じく、自身とは対極に位置する人間と接した上で、今後どうなるかは読者の想像におまかせする展開。宙ぶらりんなのは変わらないけれども、モーバンヒルズよりも物語が小気味良い分、後味もすっきりしていて、希望のある続きが想像される。

翻訳も良く、「えらいこっちゃ」だったり「言わんでください」のような親しみを覚えつつも特徴的な言葉遣いが、作品の雰囲気づくりに寄与していると思う。

チェリスト

本作を一番最後に持ってくる編集者よ、意地悪だなあ~~。

顛末は最悪でも、心が通じた短い時間に籠る想いがあまりにも大きくて、切実で、一言には語れない、なんとも複雑な作品。