感想
たった7話、ご長寿アニメのような安心感
私は始め、本書に対してタイミングが良いとばかり思っていた。というのも、私は最近激務に追われており、脳のリソース不足が長く続いていた。そのため、純文学のようなしっかり読み込む作品よりも、本書のようなさくっと軽く楽しめる作品のほうが、今の気分にぴったりとはまっていたのだ。1話あたり約50頁で、15分もあれば読み切れるからこそ、肩の力を抜いて気楽に楽しむことができた。
しかし一方で、私の体調が万全で、いくらでも難しいことを考えられる状態でいたならば、本書は少し物足りなく感じたのではないだろうかとも考えてしまう。本書は多少読み飛ばしても物語を追っていけるし、ミステリーパートへの入り方はかなりあからさまである。それに、短編だからこそ伏線が少なく、物語よりも先に答えにたどりつけることも多い。このように、さっくり楽しめることと、物足りなさは表裏一体で、だからこそ私は少し捻くれた考え方を持ってしまったのだ。
ところが、さらにもう一歩進んで考えてみると、普段は思いつかない発想に行きついた。それは、簡潔かつ安心できる面白さには、実はすごく高度な技術を要するのではないだろうか、ということだ。物語を長く複雑に書くことは難しい。ただ、逆に、書けてさえしまえば面白くなるのは必然である。なぜならば、長く複雑な作品は読み切るだけでも体力を使うため、読了するだけで気持ちよさを感じられるからだ。険しい坂道を自転車で登ったあとは、登頂からの景色がなんであれ、下り坂を駆け降りるだけで楽しくなる。それに似た状況である。
翻って、短編では字数制限のために、物語を入り組ませたり丁寧に語ることが難しく、だからこそ面白い作品には洗練された技術が詰まっているのではないだろうか。本書の著者にしてみれば、わずか50頁の中に、フレンチの魅力、日常ミステリー、個性豊かなキャラクターの交わり、と様々な要素を起承転結とともに束ね上げている。素人がこれを実践しようとすれば、まず間違いなくてんでばらばらで散漫なものになるだろう。
(2024/02/10追記:「面白い作品には洗練された技術が詰まっている」は、チョン・セラン作家の私たちのテラスで、終わりを迎えようとする世界に乾杯でも語られているので、要チェック。※私が語っているわけではなく、チョン・セラン作家が語っている。)
加えて、本書ではその「短い中に安心できる面白さ」が7話分あるのだ。調子や好みには波があって当然なので、多少面白くない話があっても不思議ではないのだが、本書は全て面白いのだ。漫画にしてみれば単行本にならない話数だし、ドラマやアニメにしても1クールには足りないが、それでもこのたった7話で、ご長寿アニメのような安心感が醸成されている。おきまりのヴァン・ショーや俳句も、もはや水戸黄門の印籠である。後半になるにつれて、「よっ!待ってました!」となる暖かな安心感が確かに存在している。
このように本書は、仕事に疲れた私を癒してくれただけでなく、小難しく考えがちな頭もほぐしてくれた素晴らしい一冊である。冒頭に述べたように、確かに手に取ったタイミングの良さもあるだろうが、水物になりきらない確固たる良さも存在している。2巻目はぜひ、お家でゆっくりワインを頂きながら読みたいものである。