感想
さっぱりと、からっとした読み味で、屈託なく純粋に楽しむことができた。日本に渡ってくる韓国文学の中ではかなり有名な作家だが、案外珍しい「陽」のタイプかもしれない。近しいところだと、ユーモアでパク・ミンギュを思い出すものの、彼の作品も時折覗かせる闇がかなり濃いし、どちらかというとギークな笑いの印象が強い。本作のような、すっきりと楽しめる上にしっかりと充実した韓国文学は新鮮で、一気に読んでしまえる力がある。
本作は注目したい点、語りたい点がたくさんある。ジェインの物語も、ジェウクの物語も、ジェフンの物語も、三者三様に起伏と奥行があって面白く、また「救い/救われ」という素朴ながらも重要なテーマが登場している。ジェインはギョンアや母親と、ジェウクはヒヤムやスアドにサンジェイと、そしてジェフンはフィービー・テイト・ワイアットと、「救い/救われ」の関係が描かれる。規模感はそれぞれで異なるものの、共通しているのは、利害を超えた相手への思いやりである。
いや、利害を「超えた」というよりも、利害を「気にしない」在り方と表すほうが適切だろう。良い意味でそれほど深い葛藤もなく、当たり前のこととして目の前の人間に手を差し伸べる三姉弟の姿は、逞しくそして眩しく映る。もはや超能力なんて関係なく、彼らにはヒーローとしての素質が備わっているように感じられる。思い詰めずにずんずんと力強く進んでいく三姉弟の姿があったからこそ、物語全体が圧倒的な明るさとエンパワメントを獲得したのだろう。
それでいて最後には、三人が新居に集まって「それぞれが楽な姿勢で映画を観る」描写で締めくくられるのが良い。ヒーローとしての偉業を歯牙にもかけず、楽に映画を観るというのはまさに、人助けが何でもないことだと思っている証左と言える。加えて、ジェウクが言ったように、人を助けながらも、実は自分が助けられているということを理解してもいるのだろう。謙遜しすぎず、かといって鼻につきすぎるわけでもない、過不足のない等身大を維持する彼らの姿は、読んでいてただひたすらに清々しい。
例えばこれを、ステレオタイプなヒーローもののアンチテーゼとして捉えることもできるのだが、そういうわかりやすい形に収めたくない良さが本書にはある。三姉弟それぞれが、その時のベストを尽くして動いたという事実には、第三者の身勝手な評価に左右されない、絶対的な肯定が存在している。ポジションだったり、テーゼやテーマなんて関係なく、ただその瞬間に出来ることをやり抜くという意志が、私を心地よく打ちのめしてくれるのだ。
本書の帯には「たわいもない親切」という言葉がある。確かに、物語を通して語られる多くの親切は、基本的に「たわいもない」ものである。しかし、そういう「たわいもなさ」を見逃さずにしっかりと目を向けられる著者が書くからこそ、本作は素朴かつ暖かな作品として仕上がっているのだろう。初チョン・セラン、すごく良い読書体験だった。
余談
実は、本書には素人の私でもわかるような明らかな誤植がある。p.139とp.148で、絶対にジェウクであるはずなのに、ジェフンと書かれている。制作過程で、誰か疲れていたのだろうか。ただの妄想だが、パソコンの予測変換に「ジェウク」と「ジェフン」が登録されていて、混じってしまったのではないだろうか。字面は似ているものの、ジェウクとジェフンだとタイピングの経路は結構異なるので、おそらくミスタイプではない。
この誤植を糾弾する気は毛頭もないが、制作・出版に関係された方々にはぜひ十分な休息を取ってほしい。決して嫌味などではなく、これほど素敵な作品を世に送り出してくれるからこそ、ご自愛頂いて、さらに素晴らしい作品を読者のもとに届けてほしいのだ。こういう作品を届けてくれる方が過労で倒れでもしてしまったら、それこそ大きな損失である。ただの一読者であり、そしてこんな場末のサイトで駄文を垂れ流している身であるのは重々承知で、出版関係の方々の健康を切に祈っている。