ブラック霞が関

ブラック霞が関

千正康裕

新潮新書

感想

難しいなあ……。そう思っていた。自分語りから始まるが、私は残業が嫌いである。心の底から、嫌いである。たとえ残業代が出ようとも、残業が嫌いである。そういう心理もあるゆえに、私にとっての残業は、定時で仕事を終わらせられないという弱みに他ならない。極端な話、残業を発生させてしまう自分は無能であるという考えがある。

ところがこれが官僚の世界だとそうもいかない。彼らの仕事は、国民の生活をより良くするためのものであり、残業を理由に切り上げてしまえばそれだけでトラブル発生の原因になりかねない。当然、過労死ラインをゆうに超える勤務形態が許されるはずはないものの、とはいえいきなり月の残業時間を数十時間にするよう強制したならば、国が立ち行かなくなるわけで、解決策を見出すのがかなり難しい問題である。

……そう思っていた。

紙社会、対面のアナログ社会、国会議員の外注、コールセンター業務の肩代わり。

すぐに実行できる解決策、いっぱいあるじゃん!!!

特に絶句したのは、質問主意書である。どうやら印刷するときに枠と文字の間が5ミリ以下になるよう調整しなければならないそうだが、全くもって意味不明である。昭和とか時代とか以前の問題で、国民のほとんどが見ない紙のわずか数ミリのために税金が使われているのかと思うと、もはや涙も枯れてくる。そりゃペーパーレスが進まないわなと思うと同時に、一刻も早くペーパーレス化によって消滅してほしいとも思う悪習である。

それから、著者でさえ疑問を抱かなかったところに引っかかったのだが、お偉方のスピーチを代筆するのは当たり前なのだろうか。「大臣や総理大臣などが省や政府を代表するイベントでのスピーチ原稿を部下の官僚が書くのは当然だが」とさらりと書かれているが、果たしてそれは本当に当然なのだろうか。省や政府を代表しているならば、たくさんのチェックが入るのは当然だと思うが、初稿くらい、話者本人に書いてほしい。原稿を書く暇もないほど忙しいと言うのならばやはり、労働環境の改善は必須だろう。

(この感想文を書いているときに調べてみたら、スピーチライターなる職業があることを知った。めちゃくちゃ納得できない。いかに文章が下手だろうと、スピーチを行うくらいの役職の人間ならば、堂々と自身の言葉で話してほしいと思ってしまう。)

本書を読んで、極めて月並みだが、もう少し政治に興味を持とうと思った。政策の良し悪しは、立場によって変わるし、素人にはその概要を掴むことさえ難しいが、少なくともプリントの枠と文字の隙間に税金がだらだら流されているのは誰にとっても看過できないことである。私を支配し、管理するお国だからこそ、遠大なものに感じてしまうこともあるけれども、知ろうとする姿勢を最低限持っておかないと、次は税金がセル結合の隙間に消えてしまうかもしれない。

余談

ブラック労働とはあまり関係ないのだが、年金についての記述があった。著者がその政策を担当したそうで、かなり熱量のある文章になっていた。

……が、やはり邪悪である。どれだけ説明されても腑に落ちない邪悪さがあって、こう、やるせない気持ちになる。毎月の税負担、しんどいです……;;