翻訳地獄へようこそ

翻訳地獄へようこそ

宮脇孝雄

アルク

感想

本書は、海外文学を読む勇気を与えてくれる、そんな本である。というのも、本書では「誤訳」をばっさばっさとなぎ倒すがごとくツッコミを入れ、どう訳すべきかをほぼ必ず提案している。そんな著者の堂々とした物言いを読んでいると、海外文学に対して萎縮せず、彼くらいの尊大さで挑んで良いものだと思えてくる。

私はこれまで、海外文学のわかりづらい表現については少しの例外を除いて、「そんなもん」と割り切ってきたことが多々ある。翻訳教室の言い方を借りれば、そういった受け身な読書を、能動的な読書に変えてくれるのが本作である。どれほど偉大な作家であろうと、どれほど能力のある翻訳家であろうと、違和感を覚えたら首を捻って良いのだ。海外文学をより楽しむ上でも大事なマインドを本書は教えてくれる。

その上で、本書がただ文句を垂れ流すだけの悪書にならないのは、一重に著者の翻訳への想いのおかげだろう。誤訳や質の良くない訳に対する態度は辛辣だが、翻訳という営みへの姿勢はひたすらに真摯で、特に2章の「翻訳フィールドワーク」では、原書の背景に潜む文化や歴史の匂いを敏感にかぎ取っており、常日頃からどれほど翻訳のことを考えているのかが伺える。

また、このような批判に係るバランス感覚というのは著者に限らず、海外文学を読む私にとってもすごく重要なものだとも感じる。冒頭で、海外文学に対してもっと尊大な態度で挑んでも良いと書いたものの、とはいえ作品や訳者へのリスペクトを欠いてはならないのは当然で、ともすればただいちゃもんばかりつける厄介な読者になりかねない。そういう視点でも著者の態度は絶妙で、見習いたい目と思考と読解力を持っている。

本書は一見するとライトに思える。装丁はカラフルで楽しいし、ページ数はほぼ200頁丁度、余白や図像は多くて文字も小さくない。しかし、著者の取り上げる例の一つ一つは物凄く重たく、何回も何回も頁を行きつ戻りつしながら読まなければならない。緩急がある小説とは違い、一つ一つのテーマが最重要案なので、徹頭徹尾充実した濃い内容となっている。面白い上、学びにもなり、新たな視点の獲得にもなる、かなりの良書である。