フィフティ・ピープル

フィフティ・ピープル

チョン・セラン, 斎藤真理子

亜紀書房

感想

目まぐるしく行き交う人間交差点、面白くないわけがない。50+αの登場人物は、何か特別な境遇や才能があるわけではないけれども、それぞれにしかない個性を持っていて、善玉・悪玉なキャラクター問わず、全ての章が魅力的になっている。帯では「この50人の中に、きっとあなたの味方がいる」としているが、私の所感では、50+α人全員に、何かしらの親近感を持てるような気がした。露悪的なイム・デヨルでさえ、ややともすればこうなりかねない人物像として、読むことができたのだ。

加えて、こんがらがるほどにすれ違う人々が、最後には映画館に集まって一つの苦難を乗り切るという展開も素晴らしい。それぞれが全く異なる理由で映画館に集まり、そして連帯する様子はカタルシスの大瀑布であり、私の生きる社会の複雑さと、それゆえの面白さを明るく快活に教えてくれる。<利用縁>大好き人間としてはもう垂涎ものの展開で、思わず声に出して感嘆するほど、気持ちの良い最終章だった。

また、あとがきで明かされる「みんなが躍る」という幻のタイトルも私の心のど真ん中を打ち抜く。悲哀と歓喜の狭間で50+αの人々が躍る様子は、想像するだけでとにかく楽しい。踊る理由が何であれ、たくさんの人間が異なる理由で同じように踊っている景色は、どこか勇気と元気を分け与えてくれるようで、暖かい気持ちになれる。映画館は、当人たちがその時空間を物理的に共有しているのに対して、踊りは、時空間は違えど、踊るという抽象的な観念のもとで密かに弱く繋がっている感じがするのだ。

JJJでも書いたことだが、やっぱり著者は、韓国の作家にしては珍しい根明である、と思う。本作の中では、人が死ぬような凄惨なエピソードも描かれているのだが、良い意味で全てさっぱりとした読み味に仕上がっている。その上で、「回復」までの道程も描かれており、しっかりと救いを用意してくれているところが、著者の作品の根底に共通するまっすぐな明るさなのだろう。いつ読んでも幸せになれるという点ではチョン・セラン氏の作品は本当に安心できる。

本作は人間交差点であり、人間賛歌である。嫌悪を催す人物もたくさん登場するけれども、時に抗い、時に諦める行動の全てをひっくるめて、全てのお話には限りない「愛しさ」が存在している。抱きしめたくなるような、自然と涙が零れるような、心の柔らかいところに触れるような著者の「愛」が、作品を包んでいる。そしてその「愛」は、希望となって読者のもとへやってくる。この先も、私は何度も本書を読み返し、何度も希望を得るのだろう。最後に、そんな本作で今回最も心に触れた文章を引用して感想文を終えたいと思う。

いちばん軽蔑しているのも人間、いちばん愛しているのも人間。その乖離の中で一生、生きていくだろう。

p.311 イ・ソラ

余談

亜紀書房さん、労働環境、本当に大丈夫……?

今回もまた、誤植を見つけてしまった。2か所。

しかも、前回のJJJの出版年月日が2024年12月で、本書が同年11月なのでかなり制作時期が近い。前者に至ってはサイン本につき発行は11月だそうなので、同時並行で制作されたと言っても過言ではないかもしれない。

これら同時期に制作された作品に、素人である私でも見つけてしまう誤植が複数個所あるというのは、心配である。私に出来ることは買い支えるくらいしかないけれども、本当に、体調やパフォーマンスを崩さないようしっかりと休んでほしい。

JJJも、本作も、マイベストに入る素晴らしい作品である。だからこそ、そんな作品を手掛けてくださる御仁らにはぜひとも休養を、何卒休養を、切に、取っていただきたい。ほんと、しっかり休んでください……。