韓国、男子

韓国、男子

チョ・テソプ, 小山内園子, すんみ

みすず書房

感想

本サイトに投稿している読書感想文の書き出しとして、要約的な文章を用いることがしばしばある。「本書は~と言う点で素晴らしい作品である」「本書は○○である」といった要領だ。このような書き出しは、その本を一言でまとめられるからこそ活用できるわけだが、逆に、本書に対してはそういったパターンを使うことが、どう頭を捻ってもできなかった。それほどまでに、本書は複雑で、そして「複雑」という一言に帰結してはいけない要素がいくつもあるのだ。

まずは、本書の網羅性に焦点を当てたい。解説で散々ぱら触れられているのでもはや書くまでもないが、本書が世界大戦から現代までの男性性の変遷をつぶさに記述している点には凄みがあり、あまりにも読み応えがある。ジェンダー問わず、何らかのテーマで議論をする際には、まず第一に自身の立ち位置を確認し把握する必要があるが、男性性に関する足下を固めるならば本書は最適と言えるだろう。

また、著者自身があとがきで言及するように、確かに本書にはフェミニズムを始めとした、ジェンダーを語るには避けては通れないいくつかの話題が書かれていないこともある。しかし、「韓国、男子」の潮流を理解する足掛かりとしてはこの上なく充実した内容になっており、注釈や訳注含めて、むしろ親切とも思えるほどに言葉が尽くされている。

そして、このような中身のぎっしり詰まった解説によって示されるのは、「変容を拒み、他者、特に女性を虐げてきた行動の虚しさ」である。どこにも存在しないヘゲモニックな男性性を追い求め、幻想であるがゆえにあえなく打ち負かされてしまう男の悲哀が、歴史の中で何回も繰り返される様子を克明に映し出す。その文章には、擁護は当然ないのだが、かといって蹂躙することもない。あくまで真正面を見据え、真摯だからこそ、どうしようもない事実を受け止められるのだ。

こうした「韓国、男子」の虚しさを余さず曝いた後に書かれるのは、「私たちは傷つくことにもう少し勇敢になる必要がある(p.260)」と言う遍く男子への呼びかけである。これは私の心に強く響き、また示唆に富んでいるとも感じた。というのも、本書を通じて「韓国、男子」が時代や政府にどれほど傷つけられてきたかは、既にあまりにも多く語られてきている。しかし、ここで書かれる「傷つくこと」とはそういった弾圧とは全く異なるものであるのだ。

言い換えるならばそれは「変容」であり、男らしさという幻想から目を覚ますということでもある。この言説自体は何ら新奇なものではないものの、韓国の男性史を丁寧に紐解いたあとに読むと、心への響き方、味わい深さがまるで違う。Twitter(現X)で見かけるような、単なるアフォリズムではなく、いわば歴史の重みをまるごと乗せた言葉となって、読者、特に男性に覆いかぶさるのである。

ただ、本書では「傷つくことに勇敢になる」以外の解が提示されない。その言葉こそが本質的であるし、具体的な解答まで提示するのは本書のスコープではないので仕方のない話ではある。しかし、序盤(p.12)と終盤(p.261)に意識的に登場する「誰かを抑圧することなしにひとりの主体として、また、他人と連帯しケアを行う者として生きていけるのか?」という問いかけがあるからには、もう一歩踏み込んで著者なりの答えを見せてほしかったのだが、さすがに私の我儘がすぎるだろう。ということで、以降では本書を読んで考えた、私の思う実際的な解決策について1)内面の豊かさ2)セーフティネットの2つの観点で書いてみたいと思う。

まず第一に、内面の豊かさへのアプローチについて考えてみる。本書で描出される男性の姿は、一貫して他者の存在を拠り所にして自らを承認するというものだ。ある時は会社や家庭といった集団、ある時は上司や部下、そしてまたある時は女性といった、他者の存在ありきでしか自己の存在を認められないのである。にも拘わらず、他者が認めてくれず、変容も当然できないから、結果としてその他者を強く攻撃するという捻じれが生じてしまっている。

この歪みを解決するには、内面を豊かにすることが必要不可欠だろう。4.5章で提示されたメトロセクシュアルな人々は、種々の活動を通じて自己の内面を豊かにし、誰よりも自分自身が内面の価値を肯定している。要は自己肯定感が高いのだ。実践と評価のやりとりが、他者を媒介せず自己の中で完結するからこそ、拠り所無し・かつ・肯定在りで生きていけるわけで、そのような生き方には当然他者への危害などは存在しない。男子にとって変容が難しいのであれば、まずは内面を豊かにしていけば良いのではないだろうか。そうすれば、その過程で自然と変容していけるように思うのだが、どうだろう。

次に第二として、セーフティネットについて考えたい。私は、本書で説明される「韓国、男子」に対して、女性をセーフティネットのように扱う側面があるように思えた。例えば軍で上官に暴力を振るわれる男でも、例えば上司から無理難題をふっかけられる男でも、例えば大して学力も財力もないような男でも、女を下に見るからこそ安心できるという意識が随所に見られるのだ。

その価値観が誤りであるのは当然として、逆説的に、これは国の福祉が十全に機能しておらず、社会にまともなセーフティネットが存在していないことの現れではないだろうか。福祉というのは、利用するだけがその用途ではない。ある瞬間に思いも寄らない悲劇を体験したとしても、再び生きていけると思える安心を社会に満たしてくれる作用が大切なのである。男が女をセーフティネット的に扱うのは、社会にそれがないからこそであり、仮に十分に機能するセーフティネット整備されていたとしたら、男の振る舞いも多少はマシになるのではないだろうか。なんとなく楽観的すぎる気もするし、じゃあどういうセーフティネットを用意しておくべきかという議論があるものの、政策レベルで考える必要もあるのは確かだろう。

以上が私の所感である。全体のまとめに入るが、め~~~っちゃ感想文が長くなった!!! 今年入ってから一番長い読書感想文である。本書の良さ、そして大切さはこの長い長い感想文が、長いという事実それだけで十分にわかるだろう。韓国文学が好きだからとか関係なく、一人の男性として、本書を読めて本当に良かったと思う。