ここちよさの建築

ここちよさの建築

光嶋裕介

NHK出版

感想

「エッセンス」という言葉がぴったりとあてはまる本。わずか100頁くらいの読みやすさの中に、無数のキーワードが散りばめられていて、気軽さとたくさんの学びが共存している。素人でも、むしろ素人こそたくさんの気付きに出会うことができ、読んでいてとにかく楽しい。「建築」への解像度が上がることによって、「人」と密接に結びつく「住まい・暮らし」がより豊かになると思える素敵な一冊だった。

そう、何よりもこの「人と密接に結びつく住まい」という箇所が大事である。以前「日本の建築(岩波新書)/隈研吾」に覚えた違和感にも通じるのだが、建築というのは、住む人がいて初めて成り立つものだと私は思う。本の存在とも似ていて、書かれて出版されただけでも存在はできるけれども、その本が実際にその世界を生きるためには、誰かしらに読まれる必要があるのだ。

つまり「建築」は、建築に存在するメッセージを受け取って解釈する「住人」という存在が必要不可欠なのである。本書ではこのように、読者を「建築を翻訳する存在」として定義している。時に建築家の意図を読み取ろうとする、時に自由な解釈を生み出す「住人」の存在が、「ここちよい建築」を見つけると説明しているのだ。

ここに、私が感銘を覚える理由がある。というのも私は最近、相互作用するという意味での”interact”に興味関心があるからだ。読書会を始めとした本を通じた様々な交流を経た結果として、沈黙する消費者でなく、インタラクティブなアクターとしての在り方についてよく考えるようになったのだが、本書ではまさに単に住むだけでなく、自ら建築を解釈しにいく能動的な「住人」の存在が描かれている。

ある意味、全ての建築はサグラダファミリアのように未完である。それは建造物だけで建築が完成しないからでもあるし、住人が建築を「手入れ」していく過程でもあるからである。しかし、完成を急がずに少しずつ、少しずつチューニングしていくことによって、心身が自然と歓ぶ「ここちよさ」が立ち上がってくるのだ。このように本書は建築のみならず、建築を通して編まれていく住まいと人生の在り方についても語られており、簡潔でありながらも非常に重厚な内容に仕上がっている。

また、本書は真の意味での「入門書」と言えるかもしれない。ここで言う入門書とは「初心者向け」の本という意味ではない。その分野に文字通り「入門」する、門をくぐるという意味である。では、入門するために必要なのは、初歩的で包括的な知識だろうか。私は違うと思う。入門するにあたって一番初めに必要なのは、まずその分野に入門するという「心構え」ではないだろうか。

つまり入門書というのは、その分野に入門するとはどういうことなのかを教えてくれる本である。そういう意味で、本書はまさに「建築の入門書」であり、建造物や建築家の知識・歴史を知る以前に持っておくべき、「建築への心構え」を教えてくれる。「人間と建築は二つで一つ」と考えている著者だからこそ、ただの雑学本に留まらない、深みのある本を書けるのだろう。

余談

「手入れ」の継続こそが「ここちよさ」であるという話を聞いて、いくつか思い出す話があるので忘れないよう挙げておく。

1)映画大好きフランちゃん(ポンポさんシリーズ)

ポンポさんのアイデアを映像化するのが主な仕事のコルベット監督が、中学時代から温めている脚本に対して、「その本をちまちまと手直しするのが僕の日課」と言うシーンがある。顛末としては、「青春が終わってしまう」と締めくくられているものの、ここには「ここちよさ」も含まれているのではないだろうか。

2)Golden Time

「自分が自分であることをDIGる」とは、まさに「手入れ」を続けて「ここちよさ」を獲得する姿勢に他ならないのではないだろうか。この歌詞を含む楽曲のタイトルが「Golden Time」なのは、肯定に満ちていて大変良い。

3)アウトプット広場

そもそも本サイトも「手入れ」の連続である。読書感想文を書き始めた頃の記事を見れば一目瞭然で、アウトプットをする場としての「ここちよさ」を得るための過程そのものがまさにアウトプット広場である。なんとなく、自分の行いを肯定してくれた気がして、嬉しかった。