同性愛と異性愛

同性愛と異性愛

風間孝, 河口和也

岩波新書

感想

セクシュアリティにこだわりをもって集まるグループが、逆説的にそのなかではセクシュアリティをもっとも意識せずにひとつの空間を形成できるということがあるのではないかと思う。

p.195 第六章 親密であるということ

15年も前に出版された本に、今なお達成されない最終地点のような世界が描かれているのではないだろうか。つまり、誰しもが各々の性的指向を「気にしないということすら気にしない」でいられる社会こそが、皆が安心して呼吸のできる空間だということを、本書は主張しているのである。

この言葉が出るまでは、正直、本の内容の2010年当時と2025年現在を比較して、現代のほうが大衆のジェンダー多様性への理解が多少なりともあると思っていた。性差別やハラスメントがなくなったわけではないものの、性的マイノリティに焦点を当てた作品も、実際にカムする人も増えたように感じており、風向きはかなり良くなっているのではないだろうか、と。勿論これは私の肌感覚でしかないので、根拠は一切なく、不正確なのは承知している。とはいえ近からずも遠からずだろうくらいという思いを持っていたのは事実である。

しかし、そんな考えは全く間違っていた。なぜなら、「配慮」や「気遣い」という言葉が未だ存在するからである。真のジェンダーフリーとは、そもそもそういう配慮や気遣いすら感じさせない、いわばプロなのである。本当に楽器の上手な人は、さも簡単そうに難しい曲を演奏するし、本当にスポーツの上手な人は、さくっとジョギングする雰囲気でとんでもない体の動きをする。すごいことを、すごいと感じさせないで実践して見せることこそがプロのアーティストやスポーツ選手であり、ジェンダー観はここに共通する。

例えば本書では、彼女・彼氏のことを「パートナー」と呼ぶことが挙げられている。名詞から性差をなくすことで、誰しもが性差を気にせずに話せるということである。が、現代はまだ「パートナー」という言葉を「意識して」使う段階にあるのではないだろうか。少なくとも私は、彼女・彼氏という意味合いで「パートナー」という言葉を用いるとき、少し勇気がいるように感じている。それは、私にとって彼女・彼氏という単語が常識であり、「パートナー」という言葉はこうして括弧書きで表記するような、他の言葉から少し浮き出た存在だと認識しているからに他ならない。

そしてこれは、パートナーという言葉に限った話ではない。言葉遣いのみならず、態度や思考様式でも、「意識して」性差がなくなるよう振舞っているきらいがあるのは否めない。つまり、2025年現在でも、2010年と同じように性的マイノリティのことを「性的マイノリティとして意識している」のである。あくまでクローゼットの存在に気付けた段階で止まっており、クローゼットの存在そのものが消えて世間から忘れ去られるにはまだまだ時間を必要とするように思える。

このように、冒頭で引用した文章は、現代のジェンダー社会についてなんとなく楽観視していた私の心をまっすぐ打ち砕き、印象と表現するには物足りないほどの大きな影響を残していった。あまりにも考えが甘く、途方もなく考えが足りなかった。15年前と侮っていた私が本当に愚かで仕方がない。浅ましい話、私はこの手のマイノリティの話にそれなりに理解があるほうだという自意識があったのだが、全くそんなことはなかった。むしろ、そういう過大な自己評価こそが、理解の妨げになっていたと、ようやく、少しは気付けたように思う。当然その気付きに甘んじてはいけないが。

本書は、ワールドワイドかつ歴史的な出来事を多く取り上げていて、情報量として申し分ない一冊である。ただそれ以上に、私の慢心を戒めてくれたという点で情報量以上にすごく大切な一冊になったと思う。知識も、思考も、足りないものだらけだが、せめてその足りなさを受け入れられる心だけは持っていたい。本当に、そう思う。

感想に上手く組み込めなかった話

苦しさにレイヤーがある話も、考えるのに大きな力を必要とする話だと感じた。本書は主に男性の同性愛者について語られるが、対となる女性の同性愛者には、性的指向以前に、そもそも女性という性への差別も存在している。また、さらには性的指向自体を持ち合わせない無性愛者もいて、複雑に折り重なった多層構造を成している。

当然、当たり前体操、当たり前田のクラッカーだが、苦しみに貴賤はない。千差万別、皆それぞれが独自の苦しみを持っており、比べられるものではない。ただ、様々な苦しみの中のどれか一つだけで話が進むと、語られていない他の苦しみを気にしてしまう自分がいるのも確かであり、考えるのが、すごく難しい。分けて考えるのも、一緒くたに考えるのも、それぞれに問題があるように思えて、どのように考えていけば良いのかがわからない。

本を読んで、様々な人々の経験を目にして耳にして、考え続けるしかないと言ってしまえば元も子もないのだが、本当に、人間皆が幸せに生きる社会の実現は難しいのだなあと、切に実感させられる。本当に、難しい。