なぜ「救い」を求めるのか

なぜ「救い」を求めるのか

島薗進

NHK出版

感想

思ってたんと違う。ただ、宗教への解像度が上がったという点では、読めて良かったとは思う。

本書は概ね「救い=宗教」という前提の上で、ほとんどが宗教に関する解説となっている。つまり、人々が「救い」を求めていることが自明なうえで、方法論として宗教を取り上げているのだ。しかし、本書の表題は「なぜ『救い』を求めるのか」であり、「なぜ『救い』のために宗教を頼るのか」ではない。要するに、私が読みたかったのは、そもそもどうして人間は根源的に救いを求めてしまうのか、ということだったのだ。

一応、この私の問いにも「限界状況(p.132)」という言葉で解答は与えられている。ただ、それが宗教ほど深堀されることはなく、物足りなさを感じてしまう。確かに、1)死 2)苦悩 3)闘争 4)負い目に対して、人は限界を感じ、どうにもならないがゆえに、全能感としての「救い」を求めてしまう。そして、そうした限界状況から生み出された絶望を「利用」し、「搾取」してきたのは、キリスト教を始めとする宗教である。したがって、「救い」について考える上で、宗教に着目するのは当然の流れであると言える。

しかし、そうだとすると、我々は「救い」なしには生きられない存在として描出されるより他なくなってしまう。果たして本当にそうだろうか。限界状況(特に死)があるのは事実だが、それを目の前にしたとき、「救い」を求めるだけが人間の姿なのだろうか。少年ジャンプやスポ根ものではないけれど、限界に相対してもなお、救いを求めずに自律した在り方を考えることもできるのではないだろうか。

特に近年では「推し活」がほとんど新興宗教としての様相を帯びてきている。宗教の力が弱まってきても、結局、「救い」自体がなくなるわけでなく、むしろ「推し活」といったポップな言葉の影に隠れて潜在化してしまうこともある。そして、過剰な「救い」に身を捧げた結果、逆に取り返しのつかない不幸に身を投じることも少なくないのだ。

だからこそ、「救い」そのものに縛られない生き方を提示することが重要で、そうしたテーマを本書に期待していたのだ。しかし蓋を開けてみれば「救い」の存在は自明の理として取り扱われており、肩透かしを食らったのである。まあ、宗教がいかに統治や支配に利用されてきたかを学ぶことができたので、それだけでも儲けもんではある。とはいえ、不完全燃焼。

ジャケ買いしてしまった私が悪い!!! 悔しい!!!