丸の内魔法少女ミラクリーナ

丸の内魔法少女ミラクリーナ

村田沙也加

角川書店

感想

 冒頭の表題作で楽しい短編集だと油断させられてからの最後、「変容」にて度肝を抜かれる。というか、こんなすごい作品が短編集にしれっと放り込まれていていいんですか? 「変容」単体で売り出されてもおかしくないほどの完成度。文字通り価値観を揺さぶられるのに、どこかコミカルで愉快な気持ちにさせられるから、情緒がぐちゃぐちゃ。

 それにしても「変容」のような世界を観測しながら正気を保って執筆できる村田沙也加氏、精神力がありすぎる。私ならSAN値が死んで、狂ってしまうと思う。世界の真理なり本質なりに辿り着かずに、茫洋と生きているのはある種の救いで、人生の核というのは蓋し、狂気と密接にかかわっているのだなと思わされる次第。今をなんとなく生きているのは、決して目標や目的がないからではない。狂気を催す真理を、見て見ぬ振りしてやり過ごすためだったのだ。

 そんなわけで、以下、各話の読書メモ

魔法少女ミラクリーナ

 村田氏とは思えぬ清涼感。好き。

 時空を超えて「あの頃の放課後」と繋がれるなんて、ノスタルジーと羨ましさで涙が零れそう。たとえどれだけ人を救えなかったとしても、そんなの善意の押し付けに失敗しただけのことであって、大切な人と長い時間を共有できること以上に尊いものはないのだ。友達のいない私は、そう思ったわけですね。

 あとは、やっぱり私は「まっすぐ」が刺さるのだろう。具体的な志がなくとも、自身の欲求を自覚し、それを満たすために一直線に進む姿が、私にはないからこそ眩しく映る。そこには「誠実に狂(p.56)」う姿が描出され、行動の善し悪しを問わず、何らかの輝きを帯びるのだろう。狂っていながらも、むしろ健全で、ぐちぐち悩みながら生きる私にとっては、羨ましくも、どこか絶対的なヒーローのように感じられるのだ。

 ……もしかして、私の感性、じじい???

秘密の花園

 露悪的、かつ自己満が過ぎてあんまり刺さらなかった。

 確かに早川くんはどうしようもないクズである。浮気はするわ、ミソジニーだわ、人使いは粗いわ、身だしなみすら整えられないわ、もう本当に救いようのないほどのクズ。当然あまりにも不快で、彼のことは絶対に好きにはなれないし、共感することも難しい。

 ただ、彼が生粋のクズだからと言って、内山さんの行動が許容されるかと問われれば、そうではないと思う。勝手に「理想の早川くん」を胸中に創り上げて、勝手に初恋をこじらせていたのは内山さん個人の問題に他ならず、現実の早川くんが関与する余地はどこにもない。だのに当て馬のように利用されて、コケにされるのは、いくらクズであっても流石に可哀そうである。

 理路整然とした物語を求めているわけではないのだけれども、とはいえ内山さんの行動はあまりにも身勝手で正当性に欠くからこそ、どうにも面白いとは思えない作品になった。まあ、いくら好きな作家さんとはいえ、刺さらない作品があるのも当然だよね。私は谷崎大好きだけど、「痴人の愛」とかそんなに好きじゃないし、それと同じなんだろうね。

無性教室

 これは……えっちですね…….。

 ふざけた感想だなと自分でも思うけど、これ、すごいことだと思う。トランスシャツを着て、性別を伏せているのにも関わらず、えっち、もとい愛は確かに存在できるのである。挿入しなくたって、男同士であったって、女同士であったって、そもそもそれすらわからなくたって、他者を想い心を昂らせることはできる。これ、本当にすごいことだと思う。言葉にならない愛が好きな私としては(例:春琴抄)、ものすごく刺さった一作だった。

 愛する人には、触れたいんです。それは、性欲でないし、性差でもない。自分の愛する人が、自分と同じ世界に存在していることを確かめたいからなんです。相手への思いやりだとか、自己満足とかでなく、ただただ、切に、愛する人が存在していることを実感したいのです。この想いこそが、愛に他ならず、あまりにも、あまりにもなのである。

変容

 パブスピホムパに参加した~い!

 冒頭にほとんど書いたので、省略。この掌編は、What to sayでも、How to sayでもすっごく面白いので、かなりの傑作だと思う。既に書いたけど、なんで短編集にぽいっと入れられてるかがほんとにわからない。コンビニ人間みたいに、単体で本になっても全然おかしくないと思うのは、私だけなのかなあ。