ウナノハテノガタ

ウナノハテノガタ

大森兄弟

中央公論新社

感想

 マダラコ、大戦犯では……?

 螺旋プロジェクトはまだ三作目で、他の時代をよく知らないのだけれども、おそらく本作がスタート地点。海族(イソベリ)と山族(ヤマベリ)の対立のきっかけとも言える話である。実際、物語の前半では、傷ついたヤマベリをイソベリが助け、それを見てウェレカセリが感動するシーンがあるように、2つの部族の対立はそれほど激しくなかったように思われる。

 では、本来棲み分けられており、多少混じっても穏やかだった2つの部族の対立が激化した原因は何か。

 マダラコである。

 マダラコが、イソベリとヤマベリの対立を煽って抗争のきっかけになったのは言うまでもない。「死にがいを求めて生きているの」で言うならば堀北のように、自身の欲求のために各部族を巻き込んだのである。結果として両部族の溝は深まり、多くの人が血を流し、命を落とすこととなった。いくら自身が生贄にされかけたとはいえ、さすがにこれは戦犯ではないだろうか。

 「コイコワレ」で言うならば、マダラコは自身の持つ憎しみに負けてしまったのである。自制し、腹の中の子を思えばこそ、争いのない平和な世界を望むはずが、それとは正反対の環境を生むきっかけとなってしまった。ここで起きた対立が、何百年、何千年の歳月を経て多くの人を苦しませることになると思うと、物悲しい気持ちになってしまう。

 そんなわけで、よしんば螺旋プロジェクトの世界観のためとはいえ、最終的な「タビ」のメンバーにマダラコがいるのはなんとも解せない。自身の行いを省みることなく、ただ自分自身と彼女の子のみに執着する様は、我が子にだけ甘々なモンペそのもので、読んでいた楽しくないし、むしろ不快感が募る。

 「死にがいを求めて」や「コイコワレ」に繋がるから、明るい話にならないのは仕方ないとしても、もう少し作品としたどうにかならなかったのだろうか。本作を読んでしまうと、堀北へかける言葉も、「憎しみを飼い慣らせ」から、「マダラコのせいやからしゃーない」に変わってしまう気がする。……流石に過言だけれど、螺旋プロジェクト内での対立の根幹に、モンペ: マダラコがいると思うと、かな〜りもやもやする。

 とりあえず、本作はあくまで「神話」的であり、必ずしも作品世界における歴史的事実が語られたわけではないと思い込むことにしておこうと思う。マダラコは架空の存在だったんだ()。

追記: 

 マダラコがイソベリに武器教えたの、確かにヤマノベが襲来するからだけれども、武力で応じるよりほかに色々あったのではと思うのだが、なんか誤読してる気がする。だって読みにくいんだもん……。