感想
タカエス部長が居眠りしていて、その光る頭をメンバーさんが撫でている。そういうものの価値は経済学の言葉では絶対に語れない。[略]
pp.337-338 最終章 アジールとアサイラム
それはエッセイの言葉で語られるしかない。「ただ、いる、だけ」はそれにふさわしい語られ方をしないといけないのだ。
「ケアの倫理/岡野八代(岩波新書)」を初めて読んで以来1年、ケアに関連する本を読み続けて感じていた、「でもお金は必要やん」という漠然とした問いに、ひとつの解答が提示された気がした。それは、「そもそもお金という存在をケアの文脈に持ち込むべきではない」ということ、そしてだからこそ、「継続することでしかケアは存在できない」というものである。
まず、前提として私はケアと資本主義社会をごっちゃにして考えていた。私の生きる社会には、ケアも資本主義もあるのだから当然ではある。しかし、混ぜて考えてしまうことで、資本主義経済の価値尺度が、ケアにまで適用されてしまうのだ。本書ではそこに異議を唱え、そもそも同じ土俵に立たせるべきではないと主張している。
つまり、ケアは資本主義社会の外側にいて、ややともすると忘れられてしまう脆弱な存在に他ならないのだ。だからこそ、ケアについて考え「続ける」という、「継続」という行為が重要になってくる。著者が「もっと、光を(p.334)」と表現したように、ケアが存在するためにはより多くの人に意識してもらうより他なく、金銭を絡めて考えるという出発点自体がそもそもとして間違っているのである。
目から鱗が落ちるとはまさにこのことだろう。「でもお金は必要やん」にあえて答えるとするならば、「そうだよ」、あるいは「だから何?」である。現代社会で生きていくにはお金が必要不可欠であり、そこからは逃れられない。その一方で、ケア(=人を傷つけない=人のニーズを満たす)の中でお金のことを考えるのはご法度である。そもそもベン図が重なっていないのに、無理やり重ねて考えようとするから、ブラックデイケアのような存在が生まれてしまうのだ。
そんなわけで、ケアを学ぶ私に本書は新しい地平を見せてくれたわけだが、ここからは本書そのものへの感想をつらつら書いていく。
まず、読んでいて楽しい。森見登美彦っぽさのある、偏屈さと愛嬌が混在する文章。きっと、デイケアでのスタッフやメンバーは、一癖も二癖もあって、しんどいことも多いのだろうけれども、著者の愛とユーモアによって、全員が魅力的な存在になっている。有体に「暖かい」デイケアの空間が広がっており、なんでもない描写で涙が落ちそうになるほどである。
それから、博士らしい引用や分析も素晴らしい。ケアという、なんとなくわかるけど、具体的に説明することが難しい存在を、巨人の肩に乗りながら、そこから見える景色をわかりやすく読者に伝えてくれている。デイケアでの個別具体な話がありつつも、それらを帰納して得られる抽象概念についても多く書かれており、内容が大変充実しているのだ。
……そろそろまとめを書きたいけど、まとめを書くのがめんどくさくなってきた。
要はですね、私、今、めっちゃ頭がすっきりしてるの。
もやが晴れた思いなの。冒頭に書いたように、ケアに対してなんとなく抱いていた疑問が雲散霧消、快晴が見えたように感じるんです。そういう気持ちを書きたかったのだけれども、たぶん読み返した私には伝わらないと思う。
でも、本書の言葉を借りるなら、それが「ケア」なのである。エッセイ的にしか語られず、ひたすらぐるぐるする。それこそが「ケア」そのものなのだ。わかった気になるのは良くないけど、気分が良い今だけはとりあえずそういうことにしておこうや。とにもかくにも良い本でした。