月人壮士

月人壮士

澤田瞳子

中央公論新社

感想

 圧巻……。

 螺旋プロジェクト関係なく、独立した一つの作品として圧倒的である。天皇家と藤原家の間に生まれ、両親に愛されず、孤独な天皇として生涯を終えた「首」と、彼を取り巻く様々な人々。視点によって移り変わる「首」の姿は万華鏡のようでありながら、それらの奥から立ち上る彼の真の姿はあまりにも寂しい。華やかさと侘しさ、両方を兼ね備えた非常に奥行きのある作品だった。

 ところで、傑作と思える悲劇を読んだのは久々かもしれない。私はハッピーエンドを求めるきらいがあり、例えば最近読んだ「コイコワレ」では、内容こそマイベストにノミネートさせるほど面白かったものの、その悲しい結末には多少の疑義を抱いている。いかに没入感があれど、あるいは没入感のある素晴らしい作品だからこそ、無意識のうちに自己を投影しており、したがって幸せな気持ちで本を閉じたいのだと思う。

 一方、本作は悲劇である。主要登場人物が誰も幸せになっていない。対立に巻き込まれ、余裕を失い、誰かが誰かを傷つけている。そして最後には、娘を想う言葉すらも、病臥に阻まれ一筋の涙となって消えてしまう。かようにだ〜れも救われない物語があるだろうか。いかにチャップリンと言えど、この作品は近くで見ても、遠くから見ても悲劇と言うだろう。

 しかし、不思議と読者としての私に悲壮感はない。おそらく、時代が大きく離れているからだろう。今から1200年以上も前の話で、しかも皇族の物語となれば自己投影する隙間はあまり見つからない。もちろん、血縁や孤独、身分など、帰納した先には普遍的な感情があるものの、こと本作は「死にがいを求めて生きているの」ほど鏡映しになった感覚はなく、舞台作品を見ているような感覚になった。

 だからこそ、本作はあまりにも面白い。作品としてのクオリティが高すぎる。巧みな視点操作と情報統制、プロローグとエピローグの繋がり、確固とした世界観を創り上げる語り口、魅力的な要素があまりにも多い。これに加えて螺旋プロジェクトという企画の趣旨にも沿っているのだから、もはや敵無し、優勝である。

 こういう作品に出会えると、読書好きで良かったなと素朴に思えるよね。読書は況やその効能を語られがちだけれども、複雑なことをな〜んにも考えず、ただ読んでいる瞬間、その物語に没頭(≠没入)できるのが1番幸せなことだと思うんです。そういう意味で、本作をここ最近の残業祭のときに読めて本当に良かった。

余談

 「首」を読んで思い出す人がいる。

 「ホームランダー」だ。彼もまた、愛してくれる両親が存在せず、「ヒーロー」という役割に狂わされている人物である。「首」にせよ、「ホームランダー」にせよ、それぞれ娘と息子がいるのにも拘らず、自身が愛を知らないゆえに子供に愛を与えることができず、さらなる悲劇を呼び寄せてしまう。

 最近の私のテーマなのだが、愛を知らない人を、どうケアすれば良いのだろうか。「サンダーボルツ*」を観たときに感じたのだが、「ボブ」は母に愛された記憶を持っているから闇堕ちを回避できたわけだが、同じ状況でそれがホームランダーだとしたら、サンダーボルツ*たちは果たして彼を救えたのだろうか。

 一つの回答は、「居るのはつらいよ」にある気がする。「いる」ことを許される場、「ただ、いる、だけ」の場があると心から思えることができるならば、たとえ愛された経験がなくとも、これからそれを学んでいけるようになるのではないだろうか。

 ただしここでネックになるのは、た〜っぷりと時間をかけないといけないこと。数日数週間はもちろんのこと、数カ月でも足りず、おそらく数年間という時間をかけてゆっくりと「ただ、いる、だけ」を実感する必要があるのだろうが、とみにネオリベ化した資本主義社会においては、中々のんびりさせてくれないのが実情である。

 ほんとこれ、どうすればいいんだろうね。定期的に思うのだけれど、1年くらいみんなでおやすみせん? 上昇志向を持つことを禁止する1年、設けてみません? 現代人はね、たぶんみんな休息が必要。休もうよ。私は、休みたいよ……(切実)。