感想
たとえ私が共感できなくとも、彼ら彼女らにとってはどうしても必要なものであると理解できる。ここに、本作の凄みが垣間見える。
彼ら彼女らはただ、想ったにすぎない。考えたにすぎない。諦めなかったに過ぎない。目を背けずにいたにすぎない。その行動と思考の痕跡に、読者たる私が意味を見出し、心を大きくゆっくりと揺さぶられているのである。
「わたしたちが光の速さで進めないなら」感想文
……なんか、半年前の私がすごく上手に言語化している。今回感想文書く必要ないのでは? それほどまでに、「わたしたちが光の速さで進めないなら」にも「惑星語書店」にも「キム・チョヨプ作家らしさ」がしっかりと詰まっている。ショート・ショートという短さであっても、素朴で切な愛や願いを読むことができるのだ。
そんなわけで以下、特に好きな5つの作品の感想を書く。
サボテンを抱く
テーマ性に触れるよりも先に書きたいのは、幻想的な描写の妙。あらゆる事物と一切の物理的接触を配したパヒラの姿は、病に侵されながらもどこか超然としていて、神格化された存在を思わせる。何にも触れない姿が、良くも悪くも現実と彼女の間に壁をつくり、俗世との距離を生み出すのだ。
そうありながらもしかし、彼女の中には様々な想いや葛藤が渦巻いている。かつて愛し、今は亡き存在への未練と後悔と愛が、浮世離れした彼女を現実へと引き戻す。このアンビバレントな在り方が、読者たる私の旨に否応なく迫ってくる。
そして最後には、痛みの象徴であるサボテンを抱きしめる。傷の受容と、苦しみと、離別。あまりにも繊細で、ややともすると内なる松岡修造が「諦めんなよ」と叫ぶのだが、その声が届かないほどに完成された世界が、そこには確かにある。
もはや、どうすれば良かったのだろうとすら思わせない、たったこれだけ、これしかないという唯一無二の煌めきに、私の心は畏れ、震えるのだ。
メロン売りとバイオリン弾き
どの世界線でも自分は失敗していて、けれどもどの世界線でも自分は笑っている。これ以上幸福なことがあるだろうか。かのシオランは、「笑いは生と死にたいする唯一の、まぎれもない勝利だよ」と対談で語っており、つまりメロン売りもバイオリン弾きも、既に大勝利しているのである。様々な社会圧に晒される世の中で忘れがちな心が、本作には宿っていると言っても過言ではない。
それから本作にはどことなく「割れたグラス/アラン・マバンク(国書刊行会)」に近しい雰囲気を感じる。生に対する、圧倒的な肯定があるからかもしれない。たとえメロンが売れなくとも、たとえバイオリンの演奏を誰にも聞いてもらえなくとも、この瞬間に存在していることそのものは誰にも否定することはできないし、他ならぬ彼ら自身がそれをしかと認めているのだ。そりゃあ、笑顔にもなるよ。
良い意味で、もはや姉妹の顛末はおまけである。あんな素敵な姿を見せられたら、誰だって悪事から手を洗ってしまうよ。彼女らが万引きを辞めたのは、当然の帰結である。感動の余地すらないほどに。
デイジーとおかしな機械
お話教信者ワイ、しっかり会話して他者を認める話は無条件で好き。
とらえられない風景
最後の、絵描きをみんなで見守るシーンが好き。「利用縁」を感じさせてくれるから。たぶん、そこに集まった人たちは、普段の生活じゃ絶対に交わらないのだろうけど、スタースモッグという一点で結ばれるという偶然が、かけがえのない、何よりも貴いものに感じられる。
たぶん、画家が絵を描き終えて、スタースモッグが雲散霧消すれば、人々も解散するのだろう。少し寂しいけれども、それでいいし、それがいい。たまたまそこに集ったという事実は、離れ離れになったあとも、各人の旨の中にきっと残り続けるだろうから。
シモンをあとにしながら
我、異形頭大好き侍。儀によって助太刀致す。