感想
何回泣いただろう、どれほど泣いただろう。そもそも私はこの作品でなぜ泣くのだろう。
たくさんの理由があるが、まずはその「真っすぐさ」だろう。本作の登場人物は皆一様に誰かを想っている。それは決して、支配欲に繋がるような脆弱な愛っぽいものではない。他者の視点に立って考える「エンパシー」があって、そこから行動が起こっているからこそ「真っすぐ」なのである。
もちろん、そうした真っすぐさは、危うさでもある。本作の登場人物たちだって、空回りするし、失敗するし、結果的に相手を傷つけてしまうこともある。しかし、それでも私は彼らの姿に心を打たれる。彼らの根底には確固とした想いがあって、それぞれが自身の想いと向き合い、それを信じている。誰かを強く想い、それと同じくらい自身についても考える、そういう誠実な姿に、私はめっぽう弱く、涙するのである。
それから「肯定」を多分に感じられるのも、私の涙腺が緩む理由だろう。本作では実に多様な生き方が描かれている。そしてそれらを、誰かしらが必ず肯定しているのである。しかも一対一の関係ではなく、複数人が誰かの人生を肯定し、また別の複数人が誰かを肯定している。相関図を書くとぐちゃぐちゃのスパゲティになるくらい各人の想いが入り組んでいて、「肯定」溢れる世界に私はいたく心を揺さぶられるのである。
そして、そのような「肯定」の世界を丸っと包み込んでくれるのがスヌスムムリクことスナフキンである。物語の要所要所で「ねぇムーミン、わかるかい?」と直紀の中で声を上げていたスナフキン。終盤では、直紀がフィンランドにてスナフキンとなり、ミーやムーミンと邂逅し、生きる意味について問われるシーンがある。「僕たちは何の為に生きてるの?(p.441)」と聞くムーミンに対して彼はこう答える。
「プレゼントの箱の中身を、開ける前に知りたいかい?」
pp.441-442
「ううん、そんなのドキドキしないもん」
「ねぇムーミン、分かるかい? 僕たちの今も、未来も、きっとそういう事なんだ」
生きとし生ける全ての者への最大の賛辞ではないだろうか。人生をプレゼントだとすること、これは決してレトリックなどではなく、偶然生まれ落ちた=生を与えられたという文字通りの表現である。だからこそ、私たちは人生というプレゼントを、開けるその瞬間までをドキドキして待ち望んでいたいのである。それがたとえがっかりする結果となったとしても、生きている限りプレゼントは在り続け、私たちはドキドキし続けられるのだ。ここに、生き方や生きる意味なんてものは登場できない。ゆえに、どんな生もまるっと包み込む圧倒的な「肯定」を受け取ることができるのだ。
このように、本作はとにかくまっすぐで、とにかくたくさんの肯定に溢れている。だから私は泣くのである。まっすぐさなんてとうの昔に失ってしまったし、頻繁に自己否定に苛まれるからこそ、本作に慰められる想いになるのである。もはやバイブルと言っても過言ではない。
そしてここからは各キャラについて語っていく。全員魅力的だから、個々別々に書いておきたいのだ。
哲也
直紀やかなみに抱く共感(後述)はないけれども、ものすごく好きなキャラ。
良い奴だよ彼は。情に厚いだけじゃなく、自身が無知であることを自覚し、それに打ちひしがれることなく真っすぐに望を想い続けられる。ボクシングをしていて、体の強さがキャラクター造形に組み込まれているけれども、それ以上に彼は誰よりも心が強いと思う。望と結婚する予定なのも納得で、彼女のような不安定になりやすい人には、哲也くらいの強靭さが必要なのだと思う。
清人
哲也と正反対なようでいて、実はめちゃくちゃ似ているキャラ。ということは、もちろん私は大好き。
彼もまた、自身を俯瞰して見ることができ、だからこそ熱さの中に冷静さが、冷静さの中に熱さがある。印象的なのは、「重いのが苦手」と発言するところ。本人はネガティブに発言しているけれども、バウンダリーをしっかりと定める姿は誠実そのもので、その上で最大限に努力しているならば、むしろ好感度が高まるだけである。哲也のように体が強いわけではないけれど、逆にそうだからこそ、誰よりも考え抜いて判断する聡明さがあるのだろう。良い人だ。
望
彼女の根底には、他者への想いがある。幼少期は哲也・清人・直紀の仲を取り持ち、成長してからも彼らのことを誰よりも高解像度で理解し、想い続けている。だからこそ、彼女の余裕が段々となくなっていったとしても、周囲はめげずに助けの手を差し伸べてくれるのだろう。
直紀
共感1。
共感することがある種の自己憐憫・自己陶酔になりそうだけれども、ものすごく共感できた。というのも、彼は際限なく愛を求めつつも、それが満たされることがないという、基底損失に近い状態である。ゆえに自身の概ね全てを他者に捧げられるには、それを幸福とせず、ふらふらと多くの女性の間を彷徨い続ける。そんな有様だから関係性が長続きすることがなく、彼の愛への欲求はより渇望していく。
そんな「穴の空いたポケット」を持つ彼を救う唯一の方法が「時間」であると明示される。時間をかけることで、どんな行動や言葉よりも、時間そのものが愛情の証左になるということだ。そして、そんな「時間」という愛情を、彼は物語の最終盤でかなみから受け取る。「何年たっても、そこにいてくれる人」になろうと申し出を受けるのだ。
ここで素晴らしいのは、彼もまた、かなみに返せることがあるということだ。他者を傷つけることを極度に恐れるかなみだが、直紀はそもそも他者にほとんど全てを曝け出しているがゆえに、かなみの想定するような言動で彼が傷つくことはない。かなみが直紀に時間を捧げたように、直紀もかなみに対して、傷つかない鈍感な心身を捧げたのだ。
……良かったなぁ、良かったなぁ(成人男性の落涙)。阿保な話だと重々承知していてもなお、自分が救われたような気がして、本当に、良かったなぁとしか。良かったなぁ、良かったなぁ……。
かなみ
共感2。
なんなら本作で一番共感したキャラ。多く語られることはないのだけれども、他者を傷つけることに過敏になっているところが、私の胸を抉る。(ただの妄想だが)蓋し、彼女は不意に誰かを傷つけてしまったことがあるのではないだろうか。そして、その経験で自身もまた傷ついてしまったからこそ、他者を傷つけることを極度に恐れているのではないだろうか。
実は、かなみのような気持ちに折り合いをつけるのが、直紀や望のそれよりも難しい。なぜなら、最適解の一つに「離れること」が存在してしまうからだ。直紀や望は、その特性上、悩みに対処するならば誰かしらと関わることを余儀なくされる。それは時に傷つくことにもつながるだろうけれども、誰かと関わっている以上、何かしらの反応が起き、新しい地平が拓ける可能性がある。
一方でかなみは、「傷つけない・傷つかないために離れる」選択肢が浮上してしまい、その通り実行してしまうと、何の展開もないままただ虚しく時が過ぎ、傷が癒えないまま手遅れになってしまうのである。そういう意味で、彼女が直紀と出会えたのは、本当に良かったと思う。既に書いたが、傷を傷とも思わない人がいてくれるおかげで、傷に関して考慮せずにまっすぐと行動できるようになる。直紀と出会っていなければこれからの人生で長く抱え続けるかもしれなかったものを、若いうちに誰かと共有できたのは、この上ない幸いであり、これもまた、おこがましいが私自身も救われたように感じるのである。
……なんかね、共感できるキャラが救われるとこんなに嬉しいものなんだなって。現実世界の私の環境は1ミリたりとも変わっていないのだけれども、それでも生きていこうと思わせてくれるのって、本当に素晴らしい作品だなと、切に思いますよ。