フルーツバスケット 1 愛蔵版

フルーツバスケット 1 愛蔵版

高屋奈月

白泉社

感想

 これは紛れもなく、ケアの物語。間違いない。

 中心人物である透、由希、夾はそれぞれの理由でコミュニティに混じれないことがある。透は草摩家に、由希や夾はクラスに、部外者という意識をもって輪に入ることを躊躇するシーンが散見される。あるいは、自身と他人を比較して負い目を感じることで、自ら距離を置いてしまうということもある。

 しかし、そうして作り上げてしまった「壁」は、互いの言動によって砕け散る。透も、由希も、夾も、お互いがお互いに声を掛け合うことによって、自身を覆う緩衝材を軽やかに振り払っていく。357頁の、年末年始に一人留守番をする透のもとへ駆けつける由希と夾の姿が象徴的で、まさに「傷つけないことはニーズを満たすこと」を体現していると言える。

 また、異性に抱きつかれると動物に変化してしまうという理由により、安易なハグがないのも良い。もちろん、性愛でないスキンシップによって心が和らぐこともあるだろう。ただ、そういう有無を言わさない行動でなく、きちんと言葉を紡ぐことによって互いを理解し合い、親密になろうとする営みは、あまりにも眩しい。最近読んだ「スヌスムムリクの恋人」でも感じた、まっすぐさと肯定が本作にも多分に含まれているのだ。

 よって、本作はケアの物語なのである。緩衝材に包まれており、精神的にも、身体的にも閉ざされていた人々が、透という多孔的な存在によって、自他が混ざり合い、彼らもまた多孔的な存在へと変貌していくのである。正解不正解のない世界で、傷つき・傷つけられながらも言葉と行動で他者へ開けていく、これがケアでなくて何であろうか。

 ……ほんとに少女漫画???

 文学作品のような内容なのだけれども、本当に想定読者は少女なのだろうか。母親を失いホームレスの状態からスタートする透の姿には絵柄でごまかせない重たさがあるし、由希や夾も「家」に振り回されていて胸が苦しくなる。それでいてご都合主義やお涙頂戴に走ることなく、言葉で乗り越えて皆が笑顔になっている展開を描けるというのは、もう少女漫画の枠に収まらない傑作と言って良いのではないだろうか。また仮に少女を想定読者だとしても、読者を全く侮っていないという点で、すごく誠実で素敵な作品なのである。

 これがあと11巻分続く。なんて幸せなのだろう。こういう作品を教えて、貸してくれる人がいることをただただ感謝するばかり。本当に、有難い。