弱いロボット

弱いロボット

岡田美智男

医学書院

感想

 このアニメーションを眺めながら私は、「もうそろそろロボットのカタチをデザインする時代ではないのかもしれない」と思った。むしろ、「周囲との関わりをデザインする時代なのではないか」と。

p.127 第4章 関係へのまなざし

 ロボットが話のメインなのだけれども、人間のコミュニケーションを考える上でも示唆に富んでいて面白い。実際、上記の言葉はまんま人間にも置き換えられて、人間というのもまた、個々人の能力だけでコミュニケーションが起こるのでなく、周囲との関わりの中で醸成されていくものなのである。だからこそ、他者に身を委ねることができ、転じて自身の弱さを受け入れられるようになるのだ。

 今から13年も前に書かれた本とはとても思えないほど、令和の世に通じるところがある。特にここ最近、参院選で某党が悪い意味で話題になっている。排外主義ど真ん中を行く彼らを支持する人々は、どこか自身の弱さを受け入れられず、他者を排斥して自身を確立しているように見える。他者に身を委ねる必要のある弱いロボットとは真逆で、他者を攻撃し、四方を壁で囲んでいる彼らはどこか寂し気で、ロボットよりも人間関係が希薄なように思えてしまう。

 どうすれば、彼らも弱いロボットの存在を知ることができるのだろうか。本書のスコープではないので全く触れられていないのだけれども、私はどうにもそこが気にかかってしまう。どうすれば彼らは弱いロボットと接点を持てるのだろうか。どうすれば弱いロボットと接していても周りの目を気にせずにいられる社会になるのだろうか。

 本書の言葉を借りるならば、やはり環境から変えなければならないのだろう。身の回りや社会について考えるとき、そこの構成員だけに着目するのでなく、彼らを取り巻く環境にまで意識を向けられるようになりたい。そうすれば、広い視点を持って、風通し良く他者と関わっていけるのではないだろうか。