ひらいて

ひらいて

綿矢りさ

新潮文庫

感想

 整理がつかないまま書く、ので、触れやすい文章力から語っていく。

 綿矢りさ氏、文章が抜群に上手い。もしかすると、直前に「迂回」という、良く言えば簡素、悪く言えば雑な文章の作品を読んでいたので、余計にそう感じる部分はあるかもしれない。とはいえ、文章力に秀でていることに違いなく、情景のみならず、質感や肌触りなど、「触覚」に訴えかけてくる数々の描写に心をがっちりと掴まれた次第である。

 特に、比喩が抜きんでて的確。山と棟(p.13)しかり、笑顔とソックス(p.49)しかり、身近にありつつもハッと虚を突かれるような比喩が多くあり、小説でしか味わえない世界の深さが如実に表れていたように思う。また、最近の読書は「What to say」に注目することが多く、「How to say」を堪能できる作品と久しく出会えていなかったこともあり、本作はまるで滋養強壮を摂取するように読むことができた。

 さて、ここまで書いて、火照った頭がかなり落ち着いてきたため、内容について言及していきたい。

 たぶん、あえて累計するなら「娘について」やその感想の中で引用した「でこれいと・でこれいしょん」に近い作品なのだろう。傷つけ/傷ついてぐじゅぐじゅと化膿したところまでさらけ出すことでようやっと、他者に心を開いたと言えるのだというところがなんとなく似ている。主人公の愛は、取り繕った上っ面をたとえと美雪に見透かされることで傷つき、結果として二人に心を開いていく。テイラーの言葉を借りるなら、緩衝材に包まれたうわべだけの存在から、傷すらも見せる多孔的な存在へと変容したとも考えられ、私好みの作品のように思える。

 しかし一方で、愛のためにたとえと美雪が傷つけられる必要はあったのだろうか。一応、二人もまた愛との関わりを通じて開かれた存在になったと捉えることもできるが、とはいえ二人は既に互いに向けて開き合っている。人肌に触れたい/触れたくないなど、開ききっていなかった部分もあったものの、それとて仮に愛がいなかったとしても、いずれ会話を重ねて開かれるようになったのではないだろうか。

 そう考えると、本作はデッドプールが嘆いていた「冷蔵庫の女」そのものなのかもしれない。この場合、冷蔵庫の男女になるわけだけど、いずれにせよ、たとえと美雪は愛の心の成長の養分になったわけで、なんとも煮え切らない心持になる。高校生という、多感な時期においてそういう展開は仕方ないのかもしれないけど、何となく飲み込むことのできない引っ掛かりが私の喉に詰まっているのもまた事実である。

 とはいえ、この煮え切らなさはあくまで「冷蔵庫の女」という構造に対するものであって、作品の完成度を損なうものではない。むしろ、カミソリのように傷つけやすく/傷つけられやすいティーンエイジャーをリアルに描いているという点で、卓越したところがあり、大人になると忘れてしまう一瞬間の感情の揺らぎが真空パックに凝縮された作品だと称することもできる。

 「夜ふかしの本棚」で朝井リョウは、「共感だけが読書ではない(p.48)」という言葉を使って村田沙也加氏の「殺人出産」をおすすめしている。本作も同様で、決して共感できはしないのだけれども、それが作品の良さに影響することは一切なく、綿矢りさ氏の文章力や、決して自力では辿り着けない思考世界を見せてくれたという点で、本作を読むことができて本当に良かったと思う。